No.34 お崎さんのなれの果て(2)

 落語『厩火事』で大家さんは、ご亭主が自分を本当に好いているかどうかわからない、と口達者に嘆くお崎さんを、こう言って諭(さと)します。

「・・・ちょっと待ってくれよ。あいつの了見がわかればいいのかい? うーん、だけどね、口ではいいことばかり言ってたって腹の中でどう親切なことを思っているのかわからないしさ、いざとなれば薄情になるヤツもいるからな」(注42)

 中田“キッチュ”あにさん。『ダジャレ芸術協会』の会員の集まりで初めて会ってから、もう10年以上経ってしまったんですね。芸人さんの間では本名よりも『中田キッチュ』というハンドルのほうが通りがいい、そんなあにさんには、いろいろと落語のことを教えてもらいました。わたしを@niftyに、『しあたー名人会』に誘ってくれたのも、あにさんです。今はもうない銀座の料理屋『椀や』での落語会に誘われて、ご贔屓のひとり、という古今亭志ん五師匠の落語を並んで聞いたこともありました。池袋演芸場が改築中だった頃催されていた『文芸坐金曜落語会』で、川柳川柳師匠と快楽亭ブラック師匠、そして春風亭勢朝師匠という顔ぶれの会を、よりによって最前列で並んで聞いちまったこともありました。

 わたしは、演芸のすべてが好きな、落語マニアのあにさんに惚れていました。どの流派の落語家さんとも仲良くやっているあにさんのそばにいれば、それがイコール落語の世界に近づくことになる。そう思って、そばにいたかったのです。そうすれば、わたしは、必ずしも演芸に近づかなくてもいい。そう思っていました。

 ただ、どうしても男と女になることができませんでしたね。わたしは、あにさんが芸人や落語を愛するように、女としての自分を認めてもらいたかったんだと思います。ただ、それは実は気まじめなあにさんにとっては、できない相談だったのでしょうか。何時間一緒にいても、手をつなぐことができませんでした。おやじギャグやダジャレを言い続けるあにさんの隣で笑いころげていても、その後、ふたりきりになっても、そっ、と寄り添って甘えることがどうしてもできませんでした。わたしは激しく悩み続け、自分に問題があるのかと思い、よりあにさんのそばにいたい、と、話に合わせているうちに、落語により詳しくなってしまいました。そして、あにさんほど器用にふるまえないわたしは、立川流の前座さんと仲良くしながら落語協会の若手の落語家さんの会に足を運び続けて、出演者から警戒されてしまうような、不器用きわまりない観客がひとり出来上がってしまいました。


リクルートと米アバウト社の合弁で来年一月から情報検索サイトを立ち上げるリクルート・アバウトドットコム・ジャパン社(東京・渋谷、江幡哲也社長)はインターネットのサイト上で利用者の「ガイド役」を努める人材の募集活動を強化する。十一月末までの期間限定で懸賞付きの「ガイド紹介キャンペーン」を実施、優秀な人材を幅広く集めたい考えだ。(略)優秀なガイド役を紹介した推薦者の中から抽選で五万円相当の旅行券やカメラが当たる懸賞企画を実施する。

(日経産業新聞、2000年11月10日付)


 あにさん、覚えてますか? わたしは、オールアバウトの『落語・寄席・演芸』のサイトガイドの募集の案内を、オールアバウトのサイト経由で送りました。「やってみたらどうですか?」と。オールアバウトからの突然のメールに、びっくりされていましたよね。あの時はごめんなさい。ただ、あの時、わたしは『東京かわら版』の年始の恒例イベント『新春お楽しみ演芸クイズ』で毎年高得点を取っているあにさんの、自称『無駄な知識と余計な教養』を無駄ではなく、確かな方向にこそ、他の人のためにこそ役立ててほしい。そう思って話をもちかけたつもりだったんです。

 落語会のめくりの寄席文字を書いたり、内輪な落語会のパンフレットに落語に関するうんちくを書くだけで満足しきっているのではもったいない(いや、それはそれで悪いものではないと思うけれども)と思ったのです。あにさんは客席の有名人や単なる演芸マニアとしてのみではなく、もっと対外的に大きな場所で認められてしかるべき存在だ、と思いました。今もその思いは変わっていません。ただ、そのためには、必ずしも芸人でないあにさんが芸人と全く同じ了見で考えたり行動したりするのはちょっと、と思いました。そこを、演芸マニアだけでない一般の人向けに文章を書き、オールアバウトのアドバイスを受けることによって違う視点を持ってほしい。そう考えたのです。

 けれども、あにさんが、オールアバウトの仕事が担う役割をわからないまま「俺がガイドになったら旅行券をくれ」と言い放ち、サイトガイドに冗談半分で応募したということにわたしは腹を立てました。そして、応募の〆切の本当に直前、午前0時の数分前に、応募ページのフォーマットをクリックして、わたしはサイトガイドの仕事に応募することを決断しました。そして、あにさんには何も言わずにサイト制作という形で勝負することになりました。

 『厩火事』では、お崎さんはあえて亭主の大事にしている皿を割り、自分を大事と言ってくれるか、それとも皿を大事と言ってくれるかの賭けに出ました。そして、噺の中で、麹町のさる殿様はお皿の方が大事、と言い放って奥様から暇(いとま)乞いを出されてしまいましたが、お崎さんのご亭主は、理由はともかく、皿よりも彼女のほうが大事、そう言ってくれました。

 わたしは、あにさんの大事にしている『落語』において、オールアバウトという物差しではかって、勝ってしまいました。けれども、本当は、あにさんに勝ってもらいたかったのかもしれません。そして、その上で、『わたし』という存在が必要だ、そう言ってほしかったんです。けれども、サイトガイドに選ばれたのは、わたしでした。わたしがオールアバウトをやる上でいちばん必要だったのは、あにさんのように芸人さんから愛されることだったのでしょうか。本当は、わたしのほうが、あにさんを必要としていたのかもしれない。今にしてみれば、そう思えてなりません。しかし、わたしはあにさんに素直に「助けて」ということができませんでした。

 「ごめんなさい、実はわたしがオールアバウトをやる」ということを告げるために新宿で会ったあと「俺、これから中野での落語会に手伝いで行くから」と言って駅の構内に消えたあにさんを見送りながら、わたしは足の力が抜けてしまって立っていることができませんでした。顔は笑いながら。

 わたしは、あにさんにとってのお崎さんにはなれませんでした。そして、わたしにとってあにさんは、落語というお皿のほうが大切な麹町のさる殿様でした。わたしは、それでも、落語が好きで松尾貴史(=キッチュ)に似ている(今はちょっと太っちゃって松尾駄菓子≠チて感じだけれども)、芸人さんに愛され、いじられているあにさんが、天狗連(=アマチュア)の高座では『ちょっぴりシャイなたいこもち(注43)』のように見える、補聴器をつけた、あにさんの話を聞くのが好きでした。そんなあにさんを、今でも、どうしても嫌いになることができません。

* * *

 こちらが勝手に思い詰めていた中田キッチュあにさんとの関係が袋小路に陥り、そのいっぽうで立川こらくとの関係が経済的に立ちゆかなくなった時、わたしは会社で日経産業新聞を見ていました。当時、オールアバウトの記事が、日経新聞でも日経流通新聞でもなく日経産業新聞にしか出ることがなかったのは、いったいなぜだったのでしょうか。


リクルート・アバウトはサイト開設時点で十五分野、合計百五十人のガイド役を確保する計画。自薦、他薦を問わず、同社のホームページで申し込みを受け付ける。審査を通過した候補者には約六週間のオンライン研修を施す。ガイドには月五万円の最低保証のほか、サイトの人気などに応じた成功報酬を支払う。

(日経産業新聞、2000年11月10日付)


 月の報酬5万円(注44)。手取り10数万円、家賃が7万円のわたしにとっては、魅力的な金額でした。

 もし、自分が男であったならば。そう考えることがあります。わたしの会社員としての収入も、もっと多かったのではないでしょうか。そして、趣味として落語に関わることが、もっとスムーズにできたのではないでしょうか。そして、多くの芸人さんたちと、立川こらくと、中田キッチュあにさんと、そして大友さんとも、酒を飲みながらエロ話や演芸についてのバカっ話を、もっと、いっぱい、気軽に、楽しくできたんだろうなあ。みんな、とてつもなく、たまらなく大好きなんだ。けれども、その『大好き』に、女としての「好き」がからんじまってるんだもんなあ。くやしい。そして、自分が女であることがたまらなく憎い。

 わたしは、お崎さんにはなれませんでした。お願いです。誰か、わたしを男にしてください。それが無理なら、せめて、男になれなかった高尾太夫としてのわたしを、いや、蹴転でもいいから、ひとこと『かわいい』と言ってやってください。

(2003.12.15)
(つづく)


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