No.32 願ったことは何ですか?(2)

 そのまた数日後の7月1日。わたしは改めてネット喫茶に行きました。@niftyのメールボックスの未読メールは、いくらかは少なくなったものの、まだ800通を超えていました。わたしはもうひとつInternetExplorerを開き『東京かわら版7月号』を手にアドレスを入力しました。

 http://www.tokyo-kawaraban.net/

 『東京かわら版ネット』がオープンしていました。サイトカウンターは、まだ50を越えたばかりのところでした。サイトオープン、本当におめでとうございます。うれしい。良かった。ほんとうに良かった。

 『スタッフ』のページに飛んだところ、社長の井上さんが、大友編集長が、佐藤さんが、そして新しく編集部に入ったという田谷(たや)さんが、そしてサイトスタッフの三島さんと尾谷(おたに)さん(注38)の顔がありました。皆さん、お元気そうで何よりです。佐藤さん、腰の痛みは新入社員が入って、少しは楽になりましたか?

 そんなことを思いながらじっ、とサイトの写真を見つめていると(注39)、自分がサイトの向こう側から見つめかえされているような気がしました。勝手にちょっと照れくさくなったわたしは、あわてて掲示板に飛びました。掲示板には「サイトオープンおめでとうございます」の書き込みがすでにいくつかあり、見覚えのあるハンドル名をいくつか見つけることができました。この人たちに、自分が今、静岡にいるということを伝えなくては、と強く思いました。

* * *

 7月2日。翌日は月曜日でした。夜7時半、わたしはラジオをつけました。

「おかーさーん、鳳楽さんの番組はじまる!」 「鳳楽のナツメロ電話リクエスト!(注40) ・・・・こんばんは、三遊亭鳳楽です」

 静かな、少し暑い夏の夜が続いています。わたしはあたりをそれとなく見回し、ほっ、と小さく息を吐きました。

 母親には、「オールアバウトをやる中で、演芸業界の偉い方を怒らせてしまった」ということは正直に話しました。しかし『誰を』『どうやって』怒らせてしまったのか、そしてそれによって何が起こったのか、ということは、どんなに聞かれても口にできませんでした。「聞いてもわからないから、言ってごらんなさい」と言われても、いや、だからこそ言うことができませんでした。寄席・演芸の世界のしきたりやしがらみを知らない、そして知りたくもないと言い切ることができる場所にいるひとりの観客としての彼女にはそれは説明のしようがないことでしたし、教えてはならない、と強く思いました。

 静岡という土地は、三遊亭円楽師匠のお弟子さんの中でも古典落語の本格派として重きをなす三遊亭鳳楽(ほうらく)師匠が二つ目時代から仕事の上でのホームグラウンドのひとつとしている場所『静岡放送(SBS)』がある場所です。母親が、そんなこの街でこの先一観客として演芸を楽しむ際に、必要以上に彼女に精神的な負担をかけさせたくはありませんでした。わたしを落語好きにしてくれたのは彼女です。

 小学校4年生の時、先代柳亭燕路(りゅうていえんじ)師匠の著書『こども寄席』を手にしたわたしを、児童会館の舞台に上げてくれたのも彼女です。今でも、落語に限らず、エンタテインメント公演があると、ジャンルを問わず、わたし以上に積極的に足を運ぶ人です。

 戻ってきた家には、ラジオの公開録音でもらってきた鳳楽師匠のサイン色紙が置いてありました。数年前、彼女は、帰省したわたしに、温泉での公開録音での鳳楽師匠の高座がいかに楽しかったか、そして師匠の色男っぷりをうれしそうに語ってくれました。そんな彼女の楽しい記憶を、娘の人生の多少の蹉跌(さてつ)で壊したくはありませんでした。それはユーザーの側に立った情報発信をするオールアバウトジャパン『落語・寄席・演芸』サイトガイドの『金澤実幸』こと『鳥袴たつみ』としては、絶対に許せないことでした。

 誰に何をどう言えばいいのかわからないけれども、とにかく『ありがとう』。これが、わたしがオールアバウトを続けることをいったん断念して、選択した生き方なのでしょうか。オールアバウトというビジネスの了見の中で仕事をしようとしたわたしは、芸人の了見になることはできませんでした。そして、芸人の世界の了見で怒られたことを、オールアバウトの飯野さんにビジネスの世界の言葉で、リクルートにわかるような言葉で説明することができませんでした。そして、その逆もわたしにとっては真実でした。藤野さんやcabさんにビジネスの世界の考え方を貫くことができませんでした。

「名を名乗れ!」

 藤野さんからの突然の怒鳴り声は、芸人さんの世界の了見からの強烈な拒絶だったのでしょうか。しかし、藤野さんは芸人の了見の中にいる方でいらっしゃったとしても、芸人ではない。わたしはそう判断しました。そして、わたしも芸人ではありません。わたしはオールアバウトに業務委託をされたひとりのライターです。そして、同時に求人広告の代理店で営業事務をしている会社員でもあります。わたしには、しくじりをした前座の芸人のように「ひたすら理由もなく頭を下げる」という形で対応することは許されませんでした。

 その後、わたしは、そこから生じたであろう出来事と自分の全存在を賭けて向かい合う中で、その意味を痛すぎるほどに思い知らされました。けれども、それぞれ、自分の目的のために、仕事のために、守るべきものや人のために懸命だっただけなのだ、そう思っています。藤野さんも、他の方々も、それぞれが各々の立場でひとりひとりが必死になった結果、わたしは、今、ここにこうして生きている。そう理解しています。

 わたしは、演芸に関して、あるいはそれ以外のことに関して文章を書くために、そして演芸の世界の中で生きるために家族や生活を捨てることができませんでした。生活が苦しすぎました。会社の仕事が楽しすぎました。そして、落語という伝統芸能を嫌いになることができませんでした。それはなぜなのでしょうか。落語を、そして演芸の世界の中で一生懸命に、そして時にはいい加減に生きるすべての方々を忘れることが、落語という物語の中で救われたわたしにはどうしてもできそうにありません。芸というものに関わる方々が、そして芸について語る方々が、高座の上で、ネットの中で、ひいては社会の中で、より自由に在ることができるために。

 ひとりの静岡の落語好きのおねいちゃんとして、わたしは、言葉を通して、ネットを通じて、これから、何をすることができるでしょうか。

(2003.12.10)
(つづく)


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