No.24 ごめんなさい、そして、さようなら。(3)

 会社を退社して佐伯さんと話をして別れた後、わたしは新宿駅からをいつものように電車に乗り、笹塚まで戻りました。そして、駅前のスーパーでお弁当を買い、家でそれを無理やり食べました。そして、意を決してパソコンに電源を入れ、しばらく見ていなかったメールブラウザのページを開きました。未読メールは数百通にのぼっていました。数多くのダイレクトメールやニュースリリース、メーリングリストなどの山の中から自分個人に宛てられたメールをみつけようと懸命に探しました。『週刊FSTAGE』の神保編集長からのメールがありました。

「もらったメールだけではオールアバウトを辞める理由がわからないので、週刊FSTAGEに書くことができません。辞める詳しい理由を教えてもらえますか。ま、これから頑張ってください」

 ・・・辞めるという時に『頑張ってください』? ちょっとむっ、としました。しかしその思いはメールには書けません。

「ごめんなさい、とにかく理由は言えません」

 そこまで書いて、メッセージを伝えたい芸人さんがひとりいらっしゃることに気づきました。

 彼は、落語協会のサイトを作り上げた立役者のひとりです。どうか、頑張って協会のサイトを盛り上げてください。そして、そこが寄席に行く方のみならず、寄席に行くことができない人にも落語や、演芸の楽しさを広く伝えることができる場所であり続けますように。

 オールアバウトでこの秋の十人真打の皆さんを紹介してみたかったです(注30)。「福袋演芸場」の楽しさを観客の立場から、その面白さを落語を知らない人にこそ伝えてみたかったです。それなのに、皆さまのお役に立つことができず、大変申しわけなかったです。

 今、彼に直接メールを出したとしたら、きっと多大な迷惑をかけてしまうことでしょう。しかし、演劇好きのこの方には、神保編集長を経由すれば言葉がきっと届くに違いない。

「柳家三之助さんによろしく、とお伝えください」 

 それを追伸として書き、送るのが精いっぱいでした。

 そして机の上には、寄席で知り合った「かえで」(注31)さんの本名の名刺がありました。彼女は、わたしにとっては数少ない、既婚で落語を聞き続けている女性の知人でした。「二朝会」に行くと、彼女は演芸場のどこかの席に座っていました。

「楽しそうに笑ってるとりばかまさんの隣で落語を聞くとほんとうに楽しい」

 その言葉に甘え、彼女の横で、古今亭右朝師匠と春風亭正朝(しょうちょう)師匠、おふたかたの異なる個性があふれる古典落語を池袋演芸場で聞いて泣いたり笑ったりするのは、心から楽しいと思える瞬間でした。

 会のあと、打ち上げに参加するほどでもないごく普通の観客のふたりは、夜10時、池袋の喫茶店でコーヒーを飲みながらいろんな話をしました。けれども、ある時、彼女に言えないことができてしまいました。言えないことが積もり積もって、わたしは「二朝会」に行けなくなってしまいました。のみならず、右朝師匠の死という形で会は終わってしまいました。そして、わたしは東京を去ります。さようなら、「かえで」さん。そして幸せだった「二朝会」の客席での日々。わたしは名刺にあった彼女のアドレスに「ごめんなさい」とだけ書いた文面のメールを出しました。

 そして、もうひとり、メールを出さなければならない人が残っていました。大友さん。編集長。せんべえさん。

 わたしは、この人に、何をどう言えばいいんだろう。わたしは、なぜいきなり怒鳴られたんだろう。そして、そこからの現実をどう説明すればいいんだろう。そして、いったい、なぜヘリコプターが・・・。

 頭の中には地獄絵図が激しく渦巻いていました。オールアバウトが、@niftyが、新聞が、雑誌が、会社が、インターネットが、家族が、ヘリコプターが、掃除機が、藤野さんが、立川こらくが。カードローンが、区役所が、友人が、2ちゃんねるが、cabさんが、警察が、落語が、テレビが、東京かわら版が、男ともだちが、女ともだちが、そして大友さんが。すべてが頭の中で同じ価値と意味を持って存在していました。頭の中が事実と情報と憶測と妄想を区別できずにぐぢゃぐぢゃになっていました。それを今すぐにメールや電話という形で体系立てて言葉にして説明することは、とても、できそうにありませんでした。

「ごめんなさい。
 ほんとうに、ごめんなさい。」

それだけしか書けませんでした。

 メールブラウザの「送信」ボタンを押し、@niftyをログアウトするとすぐ、パソコンの電源を落として部屋を見回しました。大事な書類は、カバンの中にすべて詰め込みました。いつ、誰が踏み込んできてもいいように、部屋はきちんと片付けました。そして、テーブルの上には、小さなつつじの植木鉢が置いてあります。わたしはその鉢に100円ショップで買った肥料のアンプルと水のアンプルを1本ずつ突き刺すと、祈るような逃げるような気持ちで部屋を出て、鍵を閉めて階段を勢いよく下りました。

 新宿駅まで行き、静岡までの新幹線の切符を購入して、まずは東京駅行きの中央線の電車に乗りました。中央線は、午後1時という時間なのに、なぜかラッシュアワーのように強烈に混んでいました。ぎゅうづめの電車の中から、並行して走る総武線の電車を懸命に見つめました。

 中田キッチュあにさんは、かつて、山手線に乗っていた時に、やはり並行して走る京浜東北線の電車の中に、知り合いの芸人さんの姿を見たことがあるそうです。その時のように、向こうの電車の中にわたしの知り合いはいないだろうか。そして、逃げようとしているわたしに気づいて、誰か、声をかけて、助けてはくれないだろうか。しかし誰とも出会わないまま東京駅にたどりついてしまったわたしは、そのまま東海道新幹線のホームに入りました。

「どちらまで行くんですか?」

 ホームのベンチに座っていたわたしに、年配の女性が声をかけてくださいました。

「あ、わたしは静岡までです」
「そうですか。わたしは熊本まで行くんですよ」
「熊本ですか!」

 彼女はにっこりと笑いました。ほどなく新幹線の扉が開きました。わたしは彼女と会釈して別れ、指定席に座りながら隣のホームに止まる新幹線の窓を無表情で見つめつづけ、どこかに知った顔はいないか、と懸命に探し続けていました。しかし、誰ひとりわたしという存在に気づいてくれないまま、こだま号はゆっくりと、東京駅のホームを離れてゆきました。

(2003.11.18)
(第三章「静岡で、そして。」へつづく)


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