会社が終わって家に戻ったわたしは、部屋の電気もつけず服も着替えないまま布団にもぐりこみ、ひたすらに眠りました。
PHSが鳴りました。『古畑任三郎のテーマ』は立川こらくからの着信音です。
「もしもし」
「あ〜!」
「今、どうしてる?」
「暇」
「会おうか?」
「ほんと!」
わたしは即座に着替えて、新宿駅に向かいました。
京王線新宿駅の改札口にこらくは現れました。いつもはよれよれの服を着ていることが多いのですが、珍しく、こざっぱりとした白いワイシャツ姿でした。いつものようなこらくの笑い顔を見るなり、涙があふれてきました。・・・会いたかった。もう会うことはできない、許されないと思っていた。目にタオルを押し当てて、わたしはこらくの肩にもたれかかって泣きました。こらくは困ったような表情で、笑いながら黙って立ってくれています。
「おい、食事するか? それともホテル行くか?」
「ホテルはいい・・・」
これは、今までのように、君のからだでごまかすことができる問題じゃないんだよ。それに、ホテル代はどうせわたしが出さないといけないんだし。
ふたりでまず、地下街の小田急エースの書店に入り、こらくはLinuxの雑誌を手に取りました。わたしはそれを黙って横から眺めていました。どん! と、わたしの脇腹を強くつつく男性がありました。迷彩柄のシャツを着たどこかのおにいちゃんでした。わたしははっ、と我にかえりました。そのことをこらくに言うことはできませんでした。
いつものように金のないこらくには、食べ物をこちらからおごることになり、スパゲティを食べることにしました。相談したかった。泣きつきたかった。事情を話したかった。けれども、いつものようにさりげない会話しかできません。ただしこちらは涙を流しながら。
「・・・最近、どう?」
「ぼちぼちですね」
「志らく師匠は?」
「まあまあ」
「二つ目にはなれないの?」
「無理でしょ」
彼はまだ前座の身分です。前座という身分は、落語家の世界の中では、まだ一人前として認められていません。原則として出過ぎたことをしてはいけません。過分な身分の相手を怒らせてしまったわたしを『彼女』として背負うのは、落語立川流・立川志らく門下に所属する彼の芸人としての立場をも危うくしかねない。いや、ひとつ間違えると、君のお師匠さんの立場すら危うくしかねない。たとえそれがどういう立場であるにせよ、それは芸人としての彼が自分で選択したものなのだ、ということは、彼とつきあったことのあるわたしには、よくわかっていました。
さようなら、こらくくん。そして、秋葉原の落語会。わたしは君のおかみさんになってみたかった。『おかえりなさい』とか言って、どっか他の女の家から戻ってくる君をにっこり笑って迎えてみたかった。だって、何か、粋じゃないですか?
こらく、君のお母さんは保険の外交で家を建てた人なんだってね。わたしもできることならばそれくらい積極的になりたかった、もっともっと働きたかった。君のために稼ぎたかった。けれども、現実は、普通のOLの給料しかもらうことができず、それだけでは生活がやっていけない自分はカードローンを1万円ずつくずし、駅前の中華料理店で食事をして、自分の部屋の風呂に入れてやるぐらいのことしかできなかった。君にそばにいてもらいたくて、結局は芸人としてのだらしない生活態度を増長させることしかできなかったんだと思う。どうして、君を養うだけの収入を得ることができなかったんだろう。わたしが、広告代理店で営業になることができなかったのがまずかったんだろうか。会社の居心地の良さに甘え、毎年の契約が切れる時に、もっと稼ぎの良い仕事に移ることができなかったのがまずかったんだろうか。
しかし、新聞奨学生として上京してから16年、京王線笹塚駅下車徒歩5分、1K7万円の部屋。そして求人広告の代理店勤務、んでもってついでにカードローン200万円あまりというのは、正も負も含めて自分ひとりで作り上げてきた精一杯の財産です。はたして、立川こらくは、いや、立川志らく一門は、いつ真打に、いやそれ以前に二つ目になることができるのでしょうか。そして、その時、落語界はいったいどうなっているのでしょうか。それをきちんと見届けることができないまま、君と別れなければならないのが悲しく、悔しい。
レストランを出て、ロッテリアに入りました。こらくがまずひとりで先に行き、店に話をしたのか、席がふたつきれいに空いているところに座ることができました。
「オールアバウト閉鎖になってさ」
「ふーん」
「何かしといたほうがいいかねえ」
「やっぱり個人的にメール出した相手には挨拶しといたほうがいいんじゃないかなあ」
「そんなもんかしら」
何やかやで、ラブホテルに行って休憩するくらいの時間を地下街で過ごしました。こらくは、持っていた麻雀漫画の雑誌をわたしにくれました。こちらが渡すものは、何もありませんでした。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
ふたりで京王線前のJRの切符の自動販売機の前に来ました。わたしが彼の切符を買ってやらないといけません。
「こらく、家、松戸だっけ?」
「そうだよ」
こらくはにっこりと笑って料金表の『190円』のところを指さしました。って、新宿から190円ではどう考えても松戸までは行けない。秋葉原か浅草橋どまりです。こらくの指はなぜか『浅草橋』を指さしていました。わたしは買ってやった切符を渡し、背中をどん! と叩くと、白いシャツの背中は改札の向こうに消えてゆきました。
わたしはそのまま家に戻り、彼のアドバイス通り、『オールアバウトのガイド』のガイドの管理用のページに入り、ブラウザのメールの一覧のページを開き、片っぱしからサイト閉鎖の連絡とおわびの文面を、ひとりひとり少しずつ異なる形で心をこめて出しました。cabさんにも「申しわけございませんでした」とメールを改めて出しました。@niftyと熊八MLにも、改めてお断りのメッセージをアップしました。
sub:おことわりとおわびです。かなざわ@AllAbout Japan です。
このたび、都合により、いったんガイドサイトを閉鎖させていただきました。今後の詳細につきましては決まり次第追ってご連絡いたします。ご利用の皆さま各位にはご迷惑をおかけして申しわけございません。
一部、オープン時のリンク・連絡等について不手際等が生じたことを深くおわびいたします。
今後ともAllAbout Japanをよろしくお願いいたします。
AllAbout Japan『落語・演芸・寄席』ガイド
金澤 実幸(とりばかま)(rakugo@im.allabout.co.jp)
オールアバウトのサイトガイドとしての受信メールは、こちらが受信ボックスから削除しない限り、消えることはないはずだと思っていました。しかし、次から次へとメールを出している間に、二通、大事なところから受け取っているメールが消えているのに気づきました。
わたしが削除するはずはない。削除した覚えはない。
消えたメール。それは、上野・鈴本演芸場のお席亭からのものと、『2ちゃんねる』の管理人『ひろゆき』さんからのものでした。鈴本はしかたないかもしれない。わたしのような者が作ったサイトを認めたという意味のメールは消されなければいけないものだったのかもしれない。それは納得がいくことでした。
問題だ、と感じたのは『2ちゃんねる』でした。『2ちゃんねる・伝統芸能板』は、サイトオープン当初は、わたしはリンクする気はありませんでした。サイト集には入れておいてもガイドサイトには頃合いを見計らってから出そう、そう考えていました。ところが。
「ご自由に。」とだけ書かれた『2ちゃんねる』の管理人、ひろゆきさんからのメールをサイトガイドのメールボックス内に確認して、少なからずわたしはびびりました。一斉同報でメールが送られて、その返事が戻ってきたのです。あの『ひろゆき』さんに自分の存在が認識されてしまった、彼と自分がメールでつながってしまった。そう感じた時の冷汗が流れるような居心地の悪さは、その記憶は、はっきりと自分の中に残っています。
そのメールがなくなっている。『ひろゆき』さんに下手に情報が伝わるとすべて気軽にばらされることをオールアバウトはおそれているのだろう、わたしはそう解釈しました。いったい、勝手にメール出してサイトリンク連絡して勝手にメール消して、何やってるんだ。自分のしでかしていることを棚に上げて、そう思いました。
サイトリンクの案内は、一斉同報のメールで送られた、はずです。そのメールを送るのは『外部』が代行している、と飯野さんはおっしゃいました。しかし、その『外部』がどこなのかは教えてはいただいてはいません。とある大看板の師匠がご自分で作っていらっしゃるサイトに少々見当外れのメールが届いたらしく「何ですか、これは?」と師匠から問い合わせのメールがこちらに来た時には慌ててお詫びのメールを返しました。そして『外部』はいったい何をやっているんだ、と思いました。そして『外部』と前もって打ち合わせができなかった自分の不明を責め、見切り発車のように一斉同報メールを出す形にしてしまったことに激しいプレッシャーを感じながら、わたしはますます完璧なサイトを作らないといけない、と懸命になったのでした。それなのに。
オールアバウトのサイトガイドとしてのみならず、個人的にプライベートのメールアドレスから連絡を取った方にも、何通か連絡しなければならない相手がいました。作家の青山さん。わたしが個人のサイトにエッセイを書いていた、その文章を認めてくださった方です。
「何に対してなのかわからないけれども、戦い続けます」。
そう書いてメールを送信しました。
そして長井『たすけ』好弘さんにメールをしようと、@niftyのメールブラウザをクリックしました。『たすけ』さんからは、サイトオープン後に「ま、がんばってください」というメールをいただいていました。実は頑張ることができなかったんです。言葉をせっかくいただいておきながら、サイトに本を紹介するためにお話を伺っておきながら、大手町のレストランでスパゲティをごちそうになりながら、その期待にこたえることが全くできませんでした。ごめんなさい。そういうメールを書き、『送信』ボタンをクリックしたら、Interwayのブラウザの画面が変わりました(注27)。
「サービスが混み合っています。しばらくお待ちください」
しばらく時間を置いて、もう一回クリックしました。やはり「しばらくお待ちください」でした。
・・・ちょっと考えて、青山さんのアドレスを再度クリックしてみました。『返信』画面がすんなりと出ました。もう一度長井さんのアドレスをクリックしました。
「サービスが混み合っています。しばらくお待ちください」
・・・何だこれは?
それならば、と『東京かわら版』編集部の佐藤さんにメールを出そうと思いました。彼女のメールアドレスは覚えていませんが、『しあたー名人会』の会議室に入り、『ナオミ』のハンドル名で発言検索をかければ、アドレスはわかるはずです。ところが。フォーラムに入るために『fstage』のフォーラム名を入力して『GO』のボタンをクリックしても
「サービスが混み合っています。しばらくお待ちください」。
これは偶然なんだ、そう思いました。思おうとしました。ダイヤルアップ接続だから、回線の環境が悪いから、パソコンのOSがWindows95だから、パソコンのメモリが少なすぎるから。そう信じたかった。せめて、と『2ちゃんねる』に飛びました。何か、今、自分が、ここにいる、そしてわけのわからない状況にいる、ということを匿名でも何でもいいから、書き込みという形で残したかったのです。
発言量が多かったのか、板が飛んでいました。わたしが言葉を発しようとした場所は、存在すらしていませんでした。
ひいきにしている芸人さんのサイトに飛びました。『見ちゃダメ』と書いてある新しいページができていました。そこをクリックしました。そこはちょっとおちゃらけた、InternetExplorerの画面をパロディーにしたページでした・・・と認識する間もなく、パソコンの電源が理由もなく(?)ぷちん、と切れました!
・・・すべて偶然だと思いたかったです。
けれども、偶然にしてはあまりにもむごすぎる出来事ばかりが、どうして画面上で続出するのでしょうか。何かが、誰かが、わたしをどこかに陥れようとしている。そうとしか思えませんでした。だって、「そんなことないよ」と言ってくれる人は、誰ひとり、どこにもいないんですよ?
ひとりきりの部屋で真っ暗になったパソコンを前に、おびえながらわたしは勝手に狂おしくそう確信していました。
(2003.11.1)
(つづく)