No.18 人生のリセットボタン

 朝5時。わたしは目覚めると同時に机の上に手をのばしパソコンを立ち上げ、メールボックスを開きました。特にどうというメールは入っていませんでした。とはいえ、もう家にいる気にはなれません。顔を洗って化粧をして着替え、わたしは笹塚駅から電車に乗り、都営新宿線の森下駅で下車しました。もういちど、清洲橋に行きたい、と思いました。しかし、地図もないまま勘で歩いているうちに、わたしは全く違う場所にたどりついていました。

 わたしは『お江戸両国亭』の前に立っていました。ここでは、旧(ふる)くからの寄席に出演していない円楽一門会の定席が、月のうち10日間開かれています。ここに、小劇場の役者をやっていた前の前の会社の同僚に誘われて足を運び、終わった後に円楽党の落語家さんと楽しく飲んだこともありました。

 もうオールアバウトがどうこうという次元の問題ではなくなっている、と思いました。わたしがしでかしてしまったことのすべては、神さまという存在がいるのならば、その判断のもとにゆだねるしかないように思えました。神さま、わたしのしたことは間違っていたのでしょうか。隣の両国警察署の前に立っていた男性が、厳しい目つきでこちらを見ていますが、そんなことにかまってはいられません。わたしは泣きながらお江戸両国亭に向かって手を合わせました。ぼろぼろ涙を流しながら、手を合わせることのできる場所を探してひたすらに歩きました。

 回向院。東京都慰霊堂。数多くの犠牲者の中にも、落語を聞いて笑った人は数多くいるんだろうなあ、と思うと、手を合わせずにはいられません。蔵前橋を渡り、案内板に沿って歩き、浅草橋方面に抜けることにしました。鳥越神社でしばし足を止め、そこから須賀神社に抜けました。手水(ちょうず)で手と口を清めてから、おみくじを引きました。函から出てきた筮竹(ぜいちく)には『十』と『四』の文字を読み取ることができました。どちらが上なんだろうか。朝早くからの人の気配に、社務所から出てきた女性が、こちらをけげんそうに見ています。

「あの、これ十四ですか四十ですか?」

ちら、と筮竹を見て女性は言いました。

「ああ、四十です」

 引き出しから取り出したおみくじは『凶』でした。わたしは改めて手をていねいに合わせました。

 東京かわら版編集部は、そう遠くない場所にあるはずです。せめて事務所のあるビルの姿だけでも見たい、と思いました。しかし、なぜか怖くて、そこに行ったらわたしはそこに待ち構えている誰かにつかまえられてしまうのではないだろうか、そういう思いにとらわれてしまい、どうしても怖くて、近づくことができませんでした。

 浅草橋から秋葉原に抜けることにしました。立川こらくは、以前、この界隈に住んでいました。パソコンソフトの会社の倉庫に居候していた時期、そしてその会社で寝泊りしていた時期。会社が終わってから、新宿から秋葉原に向かい、途中でお弁当を買って彼のもとに通った時期もありました。それももう遠い昔です。秋葉原駅前のカレー店で朝食を口に押し込み、わたしは新宿に向かうべく、意を決して、混み合った総武線の電車に乗り込みました。

 朝、会社で朝礼が終わると同時に、会社にスーツを着た数人の男性が入ってきました。

「・・・・と申しますが、お話に参りました」

 その人たちと一緒に、次長の姿がオフィスから消えました。次長が戻ってくると、別の人の姿が消えました。そうやってひとりずつ姿が消え、一時間ほどで戻ってきました。戻ってきた人たちの目は、うるんでいました。そして、わたしにその呼び出しがかかることはありませんでした。

「お客さんが保険に入ってくれ、とうるさいんだよ。ちょっとパンフレット配ってくれ、と言われたもんで」

 ペット保険の案内のパンフレットが、全員の机の上に配られました。

「なあ、かなざわちゃん、入ってくれよ、なあ?」

 山崎課長がやさしい口調で言いました。わたしの机の上に、そのパンフレットは置かれていませんでした。

 本社や他の営業所からの小荷物やメールを、庶務の伏見さんが定期便で届けに来ました。わたしの机の上に営業経費の小口現金の入ったビニール袋を置くと、伏見さんは小さな声でわたしだけに聞こえるように言いました。

「これからも、頑張るんだよ」。

 そういったことが起こるのと同時に、もう仕事は仕事でなくなっていました。いや、仕事は次から次へと頼まれるのですが、その内容がどうにも妙なものばかりになっていました。

 経理から内線電話が入りました。

「今日入力した****の伝票ですけれども」
「はい」
「明日破棄してよろしいんですね」

 わたしには、答えることができません。****はリクルートの資本が入っている、取引先の会社の名前でした。広告代金の未収分の問い合わせが営業さんから入りました。

「化粧品会社の未収の180万円、入るよね?」
「ええ、来週には絶対に入ります!」
「法律事務所の未収の15万円も」
「もちろん!」
「旅行会社のこの、6500円というのも」
「ええ、もう、必ず」

 自分が営業さんに対して大嘘ぶっこいている、というのは重々わかっていました。無駄な忙しさの中、昼食時間だけはいつもの通りに1時間取ることができました。この日は11時半からの早番の昼食でした。わたしはコンビ二でお弁当を買い、オフィスの奥の応接セットに座り、テーブルに新聞を広げながら食べていました。いくつかの新聞に、同じ文面の全面広告が出ているのに気づきました。白いブラウス、紺のスカート姿のロングヘアの女の子が、ビルの屋上らしき場所にしゃがみこんで、しゃぼん玉を吹いています。その下に、コピーがありました。


あなたは2人いない。

自分に迷ったとき。踏み出すことをためらったとき。想像してみよう。開放された自分を。そのとき、本当に必要なのは何かを。損だと言われても行きたい道はある。不利を承知で選びたくなるものがある。(注25)


 一と月ほど前にも、同じようなレイアウトの全面広告を見ました。その時は、白いタンクトップ姿のショートヘアの女の子がぼうっ、としたような表情でこちらを向き、その大きな写真の下にコピーが書いてありました。


平凡な人生なんかひとつもない。

100人の人がいれば、100の価値観があります。そこには上も下もなければ、よいも悪いもありません。それぞれの価値観を認めつつ、より自由に生きられる世の中に。そしてリセットボタンを何度でも押すチャンスのある社会に。(注26)


それぞれの文章のあとには、同じコピーが続いていました。


働く、学ぶ、住む、結婚、育児、そして旅、クルマ、趣味や暮らしに関することetc。リクルートは情報を収集し、選別し、公開していきます。

 全面広告の広告主は『リクルート』でした。リクルート本体と、リクルート・アバウト・ドットコムジャパン社は、別の会社である、ということはわかっています。けれども、この広告の『趣味』のひとことにサイトガイドとしての自分を重ね合わせ、コピーに励まされるようにして、『働く』わたしはオールアバウト『落語・寄席・演芸』のサイトを作り上げたと言っても過言ではありません。

 演芸の世界には、さまざまなしがらみやしきたりがあります。東京の落語界は、落語協会・落語芸術協会・落語立川流・円楽一門会の四つの流派・団体に分かれていること。そこに至るまでの経緯と事情、そしておのおのが独自に持つプライド。それぞれの事務所やプロダクションの関係。プロとアマチュアの間に厳然と存在する境界。そのあたりの事情を承知の上で、取材する上での拠り所を『週刊FSTAGE』というサイト以上に持たないわたしが演芸について取材をして文章を書く、ということは、度胸がいることではありました。でも、だって、わたしにとっては、それぞれが面白かった、それだけのことだったんです。

 『それぞれの価値観を認めつつ、より自由に生きられる世の中に。』

 そういう現実の中、インターネットという媒体は、少しずつではありますが、落語界の在り方を変える可能性を持っている、と思うようになりました。数多くの落語家さんが、ファンが、寄席が、それぞれの主張と個性に満ちたサイトを作り上げ、メールを通して、また掲示板で、気軽に、直接コミュニケーションを取ることができるようになり、回線にアクセスすれば情報を得ることができるようになったのです。その一方、検索サイトで『落語』『寄席』などのキーワードで検索をかけると、落語界の基準やしきたりに関係なく前座・二つ目・真打・そして時には素人のサイトも一緒に順不同で続々と出てきてしまうことや、事情を何も知らないままに意表を突いた質問がストレートにとんでもないところにメールで寄せられてしまうことなどに、わたしは、客席の側にいながら、落語の、そして落語界の在り方が対外的に正しく伝わらないのではないだろうか? という危惧も抱いていました。

 とある検索サイトで『落語協会』とキーワードを入れて検索をかけると『上方【落語協会】』がまず先に出てきてしまいます。社団法人落語協会(本部・東京都台東区)と、上方落語協会(本部・大阪市中央区)は、当然全く別の団体です。多少なりとも落語『界』というものを知っていると、それはちょっと・・・・と思ってしまうような話だと思います。そういったことへの危惧を取材の中であちこちから聞くにつけ、そんな状況が広がることに、落語の世界のしきたりを壊しかねない、一方で落語界を知らない一般の人に対して誤解を与えるようなことになってしまうのではないだろうか、そういうちょっとした危機感も感じていました。

 わたし自身は落語そのものについては、そう詳しくは知りません。芸を語るほどの客席での経験を持ち得ていません。働きながらの寄席通いは、なかなか金も体力も続きません。落語について、演芸について、マスメディアで書いていらっしゃる方々は数多くいらっしゃいます。その方々の言葉の中にわたしなどが入り込む余地はない。そう思っていました。それゆえに、芸について語る以上に、何かが演芸界に起こったような時に、誰かが落語について何か知りたいと思ったときに、落語について詳しく知らない人が検索エンジンでキーワードで検索をかけたような時に、見当外れなサイトに案内されてしまうのを防ぐことはできないだろうか。強くそう思うようになりました。しかし、それをどこの団体が、個人ができるというのでしょうか。どこも、自分のところこそが落語の、演芸の中心であると主張し、ポータルサイトでありたい、と願っているように思えました。

 ですが、現実問題、それができるのは「寄席演芸年鑑」を毎年発行し、その元になっている全ての演芸関係者の個人単位でのデータベースを持つという「東京かわら版」しかないのではないだろうか。わたしはそう思っていました。他のところもそう感じていたのではないでしょうか。それは、1999年から2001年4月までの取材を通して、強く思い知らされたことでした。しかし、どこに話を聞いても、かわら版がWebに進出する、というようなことは、残念ながら聞くことができませんでした。そんなふうにネットと演芸とを結びつけて考えるようになったある日の昼休み、会社の机でお弁当を食べながら、こんな記事をみつけました。


リクルートが検索サイト/プロのお墨付き紹介

 リクルートは二七日、米国のインターネット関連会社アバウト(ニューヨーク)と合弁会社を設立し、二〇〇一年一月をメドに新しい情報サイトを立ち上げると発表した。特定の分野の専門家たちが、消費者がネット上で情報検索するのを手助けするのが特徴。専門家が「この分野ならこのサイトがお勧め」とあらかじめ選択肢を絞り込んで紹介するため、キーワードを入力しながら欲しい情報を探す従来の検索サービスに比べ使い勝手が良いという。(略)今夏以降、バス釣りや芸能関係など「その道のプロ」と呼ばれる人材を公募する。サイト運営の研修を施したうえで、来年一月から情報提供を始める。(略)契約を結んだ専門家たちは、自身が推奨する関連サイトを消費者に紹介したり、自らコラムを執筆、消費者同士の情報交換サイトの管理などを請け負う。

(日経産業新聞、2000年7月28日付)


 記事を読み、この会社は、リクルートという大きな会社をバックに持つからこそ、落語という世界に対して企業の力で『ポータルサイトを作る』ということを成し得るのではないだろうか、と直感しました。そして、その記事を切り抜いて家に持ち帰ったわたしは、即座に社名で検索をかけてその会社のサイトに飛び、その思いが間違いでないことを確信しました。そして、ある日、その会社のサイトに『落語・寄席・演芸』のガイド募集の案内が掲載されていました。

 誰もやらないことをやればいい、そこにわたしの居場所がきっとある。そうすればわたしは誰の邪魔をすることなくワン&オンリーになることができる。今まで、わたしはそう思って『週刊FSTAGE』に書いてきました。その今までの積み重ねを活かすことができる。しかも、それで収入を得ることができる。それは魅力的なことでした。

 しかし、サイトガイドの仕事は、会社の仕事の副業としてやるには、かなりの量の仕事が課せられていました。リンク集の作成・二週間に一本以上の記事の執筆・他のこまごまとしたコーナーの作成・ニューズレターの作成etc・・・。それだけの仕事をわたしひとりでこなしきれるのだろうか、という不安は、もちろんありました。その上、顔写真はすべてのページに掲載されるということへの恥ずかしさもあります。しかし、その不安はリクルートという会社がマニュアルにのっとり、精神的にも業務的にもきちんとサポートしてくれるだろうと信じ、わたしは意を決してサイトガイド応募のボタンをクリックしました。

 そして二ヶ月あまりのネット上での選考を兼ねた研修の後、わたしはサイトガイドに選ばれました。さまざまなものがサイトを通して見えてきました。寄席で起こること、楽屋での出来事、楽屋に入ることを許されないがゆえに熱くたぎるようなアマチュアの落語への思い。すべてが演芸の世界なのだと思いました。それぞれが、各々の思いと誇りとプライドを持って、サイトの中で自己主張をしていました。そして、わたしは、やるからにはすべてを認めたい、と強く願いました。

 それなのに、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
 わたしはなぜ藤野さんに怒鳴られなければいけなかったのでしょうか。
 わたしのどこが間違っていたのでしょうか。
 そのことをわたしは誰に問えばいいのでしょうか。

『平凡な人生なんかひとつもない。』

 そして

『損だと言われても行きたい道はある。不利を承知で選びたくなるものがある。』

 のどの奥が痛くなり、涙がこぼれそうになりました。同時に内線のベルが鳴りました。だれかが私を見ているのだろうか、と窓の外を、部屋の中を見回しました。しかし、人がいるような気配はありませんでした。

「かなざわさ〜ん、営業から電話が入っているんだ、ちょっと出て」
「は〜い!」

 今のわたしは泣くことすら許されない。そう思いながら電話を取りました。

「あのさあ、フロムエーの料金、一番小さい枠の定価は5万円だったよな?」

 そんなわかりきったことを、何を今さら。

「ええ、そうですよ。・・・はい」

 わたしが会社を辞める直前に、そしてオールアバウトが閉鎖になる時にこんな広告が出るなんて、それは偶然でしかないでしょう。けれども、このメッセージは、リクルートという会社から自分への贈り物のように思えてなりませんでした。リクルートは、オールアバウトは、自分をきちんと認めてくれた。全面広告を見て、わたしはそう確信していました。会社を辞めること。それは後悔していない。わたしは、リクルートに励まされて、人生のリセットボタンを押したのです。

 あからさまな居心地の悪さの中で会社の仕事を終え、ひとりきりでオフィスを出てから、わたしは新宿の地下街の『花園万頭』にいました。そこを山崎課長が通りかかりました。

「おや、かなざわさん、何か買い物?」
「ええ、まあ、あはは」

 小さなおまんじゅうをひとつ袋に入れてもらい、わたしは地下道を歩き抜け、そして歌舞伎町から東新宿の外れ、抜弁天にたどりつきました。

 お願いです。どうか、今の現実を無事にくぐり抜けることができるだけの力をわたしにください。そして、東京の演芸界をどうか、お守りください。

 抜弁天のお賽銭箱の上におまんじゅうをひとつ置き、百円硬貨を一枚入れて、そっ、と手を合わせました。そして大江戸線と京王線を乗り継いで、家まで戻りました。

(2003.10.31)
(つづく)


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