No.16 ああ、メディアセックス?(1)

朝になりました。

 枕元には雑誌が一冊ありました(注23)。寄席演芸に関係ない本が読みたい。そう思って数日前に新宿の書店で買った中の一冊でした。巻頭特集は『新聞の危機と挑戦』。これならば、落語にはまったく関係はないだろう、そう思ったのです。わたしは、佐藤くんが眠る横で雑誌をそっ、と広げました。ところが。

「ラジオが普及したときに寄席がみんなつぶれる、といわれた。実は逆で、ラジオで聞いたから本物を聞きたいといって来る人が増えたんです」(山崎正和)

 痛い。活字の言葉が自分の中に突き刺さるのはなぜ。インターネットは、オールアバウトは、はたして、寄席のお客さまを増やすことができるのか? わたしは活字の中にのめりこんでゆきました。

「企業によるサイトは、有償化に耐えられなければ、慈善事業でいつまでもやっていられないわけですよね。そのときに、生き残れる企業とそうでない企業との差がおそらく出てくる」(若林幹夫)

 わたしがオールアバウトをやって、広告を取ることができるのだろうか。誰も広告を出してくれないのではないだろうか。自分は、それだけの情報価値のあるサイトを作ることができたのだろうか。

「それから、そうした情報提供に耐えうるような諸国のプレスと、そうでないものの差というものも出てくるかもしれません。ただ、一方で、非営利組織のサイトやミニコミ的なサイトというのは、とにかく情報を送ることに意味があると考えて、それでお金を儲けようとは思ってない人たちにとっては、かつてのミニコミやパンフレット以上に強力な武器になっていく可能性はあると思います」(若林幹夫)

 原則無料、誰でもアクセス可能なインターネット、というのが新しい情報の在り方を作りだしてきた、とわたしは思っている。落語についての情報もそう。個人が今までひとりで蓄積していたデータや情報、資料、うんちく、思い、感想etc。 それが、玉石混交で価値判断なしに提供される場所、それがインターネット。そして、わたしも、そこに自分の文章の居場所を見出した。また、そこにある他人のサイトの中に新たな情報や可能性をみつけ、それを紹介する作業は、しんどかったけれども、楽しいものでもあった。情報価値の判断を決めるのはあくまでも相手であり、自分ではない。わたしはそう思ってサイトの紹介をしていたつもりだったけれども、書かれる対象は、必ずしもそうはとらえてはいなかったんじゃないだろうか? そんなわたしは、結局はネットの中でのみ許される存在でしかなかった。そのことが無邪気な活字好き、情報好き、そして落語好きのおねいちゃんとしてはたまらなく悔しい。悲しい。切ない。辛い。痛い。苦しい。

「ジャーナリズムの性格を決定するのは抽象的なイデオロギーとか社会情勢というよりも、書く側・読む側がつくる社交世界の質だという気がするんですよ」(山崎正和)

 わたしは敵対してしまったのだろうか。嫌われてしまったのだろうか。憎まれてしまったのだろうか。そして、ひとりで大きくなりすぎたのだろうか。『東京かわら版』よりも、大友さんよりも。オールアバウトを、つまりはリクルートを背負った時点で、わたしはひとりで必要以上に大きくなってしまった。そう感じていた。わたしは芸人さんより目立つべきではなかったのではないだろうか。わたしの顔写真が常にサイトにさらされ、その存在が落語に関心を持つ方々に必要以上にアピールされることは正しいのだろうか。自分の中のどこかに、そういうおそれがあった。そう思っていたのは、わたしだけではなかった。

 ガイドサイトを作るために、話を聞いた先で、何度も聞かれたこと。

「かわら版がネットをやればいいんですけれどもねえ?」
「東京かわら版大丈夫なんですか?」

 東京かわら版編集部は、有藤(ありとう)さん、という有能な女性が退社されてから、なかなか後任が決まらない状況だった。誌面では何度も社員の募集と採用と退社の大友編集長からの挨拶が、異様に多くなった誤植の訂正のお詫びと共に毎月繰り返されていた。東京かわら版を心配する言葉を何度も聞かされて、本当にそうだ、とわたしも何度もうなずいた。その一方で、その「大丈夫?」の言葉の中に、自分の存在が少なからずからんでいるんだろうな、ということもうすうす感じていた。皆さん、いろいろとわかった上で黙っていてくださったんだろうね。

 オールアバウトの方針というのは『専門家がガイドするサイト』。オールアバウトを紹介してくださった方は少なからずいらっしゃった。けれども、サイトそのものは紹介されても、わたしの名前をきちんと取り上げてくださった方は誰ひとりいらっしゃらなかった。つまり、わたしは専門家として認められてはいなかった。というより、認めることができなくなってしまったのではないだろうか。

 わたしは自由に演芸について書きたかっただけ。書く場所が欲しかっただけ。そして、読んでもらいたかっただけ。ただ、頭の中だけで考えたことを書いているだけでは、数多くの方々に読んでいただくための文章を書くには限界があるな、他の方の深い認識にはかなわないな、ということは強く感じていた。それに、芸人さんの中に親しく入り込む、ということに関しては、他の数多くのライターの方々にはかなわないことは、最初からわかっていた。そんな自分は、あくまで新聞や雑誌で活字となったデータが出発点だった。広告代理店の調査部門にいた時のように、ニュースリリースをその発表元に電話して資料を許される範囲で送付してもらい、それを元に取材して書く。そして、読む中で発見した新たな事実をひとつでも書き加えるようにした。そして、自分の言葉は積み重ねられ、ネットという場所で力をつけ、その上オールアバウトという後ろ盾を得てしまった・・・のでしょうか。その一方でふくれ上がる不安と共に。

 文章を書くことが好きで、新聞が好きで、雑誌が好きなだけだった。落語が好きで、客席で笑っていたくて、けれども落語好きで金のあるような男と結婚することができなくて、お金がなくて会社員やるしかなくて、芸人さんに会うとうつむいてしまうような小心者でしかなかった。

 勇気をふるって、とある方がトリをとっていらした新宿末廣亭の楽屋にささやかなお菓子を差し入れして、「楽屋にいらっしゃい」と言われたこともある。けれども、恥ずかしくて、何を話していいのかわからなくて、師匠の意をくんでわたしの席にいらした前座さんに「ぜひ、楽屋にどうぞ」と何度言われても、わたしは座席から動くことができなかった。

 ひとり暮らしがようやっとのわたしには、芸人さんのお旦(だん)になるだけの金などない。当然、落語会を主催するお金もなかった。いや、それ以上に、プロデューサーとなって芸人さんを自分の好みや都合で動かすなんて、そんなおこがましいことはできない、したくないと思った。芸人さんを自分とのしがらみでしばるような真似はしたくなかった。また、芸人さんと友達づきあいをしたり親しく話すことは、必ずしもわたしの目的ではなかった。

 『書く』ということ。わたしは、演芸の世界にこういう形でしか関わることができなかったんです。

 その一方、わたしは、いちおう求人広告の代理店の契約社員、という形でマスコミのはしっこにいたのだから、リクルートの力の大きさ、というのはじゅうぶんにわかっていた。演芸業界の中だけにいる人よりは、リクルートという会社の仕事のやり方や社風や対応もわかっているつもりだった。それゆえに、この仕事はわたしがやるべきだと思い、そして応募して、選考を経て、わたしは採用されたはずだった。けれども、気がついたら、わたしは演芸社会の中で、ビジネス社会の価値観を、名刺をふりかざした天狗になってしまっていたのかもしれない。でも、会社もそんな自分を見守っていてくださったんですよね。次長が金を出すほどに。社長が一升瓶くれたほどに。

 わたしは、自分が東京で生きるために金を稼いできた会社社会を否定する形で、演芸に関わり続けることができませんでした。いったい、どうすれば良かったのでしょうか。どこに、誰に、何を、どう、教えを乞えば良かったのでしょうか。

(2003.10.25)
(つづく)


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