あわただしかったゴールデンウィークの連休の中休み。火曜日の朝8時半過ぎ、わたしはいつものように『アトラクティブ・アド』のオフィスに出社しました。連休前にわたしが次長と話をした、会社の隣の喫茶店が開いていませんでした。いつもならば、朝8時過ぎには開店しているはずです。連休中だからかな? いや、そうではない、気がします。店のブラインドが乱雑に下ろされ、その向こうには、テーブルの上に椅子が逆さに乗せられているのが見えます。ガラスドアの向こうの、閉じられた店の空気にあわただしさを感じます。うまく言えないけれど、どこかが妙でした。
通りに面したビルの前には、いくつかの自動販売機が置いてあるのですが、清涼飲料水の自動販売機だけが、なぜかいきなり唐突に消えていました。たばこの自動販売機は残っています。新宿という人通りの多い場所で、いきなり自動販売機がなくなるというのは、あまりにも急で、妙です。
「おはようございます」
わたしは、いつものように元気よく挨拶をしてオフィスに入りました。つつがなく朝礼を終え、ロッカールームに入ると、木部係長が自動販売機がなくなるに至った状況について軽く話をしていました。
「何でも、連休中に自動販売機の『アクエリアス』の部分が、壊されていたんだって」
ロッカーを開きながら背中で話を聞いていたわたしの体から、血がすっ、と引くのがわかりました。
わたしは連休前、自分の個人サイト(注20)に、会社で『アクエリアス』を飲んだ、と書き込みました。それ以上のことは全く書いていません。それが限界だと思いました。しかし、個人サイトでは、わたしが勤める会社の情報はわかりません。オールアバウトのサイトガイドとしての自己紹介の欄にも、次長に怒鳴られた経緯を思い、自分の勤め先の情報は書きませんでした。いや、会社勤めであるということ自体、オールアバウトのサイトにはひとことも書いていません。そして、自分個人のサイトにも自分がオールアバウトのサイトガイドであるということや、勤め先の具体的な会社名などには一切言及していません。
会社員としての本名の自分の名刺を渡したことのある演芸業界の方々の少なからぬ方々の顔や名前が浮かびました。しかし、その中の誰ひとりとして、わたしの会社までやってくる必然性はないように思えました。
とはいえ、わたしは、木部係長が話すのを聞いただけです。あくまでそれは噂話です。本当に自動販売機が壊されたという現場を見たわけではありません。とはいえ、唐突に自動販売機が消えたのは事実です。木部係長はその後、いつものようにすぐに営業に出かけてしまっていて、発した言葉を確かめることはできません。その日一日、わたしは、何ごともないかのように電話を取り次ぎ、FAXを受け取り、広告原稿を書き、いつものように仕事をしていた、つもりでした。
午後5時半前、仕事が終わる直前、次長が叫びました。
「おい、かなざわ!」
「はい?」
「ちょっと喫茶店に来い、話がある」
深呼吸して、わたしは黙って次長についてゆきました。乱雑なブラインドのまま開いていないカフェの前を通り過ぎ、二軒離れたところにあるシャノアールのコーヒースタンドに入り、地下のフロアの奥の席に座りました。
「で」
「はい」
「先週、会社辞める、って言ってたよな? その件はどうするんだ?」
「・・・」
「辞める、って言ってたよな、そうだよな」
「・・・はあ・・・・ええ・・・」
「で、いつ辞めるんだ?」
実は、そこまで考えていませんでした。会社を辞めるという心づもりではいたのは確かですが、それが、こんなとんでもない形で現実になるとは思ってもみなかったのです。次長はたたみかけるように聞いてきます。
「・・・できるならば・・・」
せめてボーナスはもらいたいんですけれども・・・・
「すぐに辞めるんだな、そうだよな」
「・・・いや・・・まあ・・・はあ・・・」
わたしはあいまいにうなずいていました。うなずくしかない状況でした。
「辞めるんだな、そうなんだな。わかった、じゃそういうことで手続きするからな」
次長は、階段をあたふたと上がり、店を去ってゆきました。
こうなることは、わかっていました。
ひとりになったわたしは、次長の分のコーヒーをトレイに置き、二人分のコーヒーを返却口に置いてゆっくりと店を出ました。
(2003.10.22)
(つづく)