No.10 ホテトル嬢の土曜出勤(2)

 わたしは、サイトの解説文を書くためにそれぞれのサイトにアクセスし、サイトが言いたいことを理解するためにその文章を、画像を読み、そのサイトの演芸との、そして社会との位置づけを把握し、何も知らない方にもわかるように、詳しい方にも納得してもらえるように的確に表現しようとする試みを、何百というサイトを相手に続けました。

 また、『芸』の現場に関わる方々のサイトを紹介する時には、その方々の芸に関するプライドを傷つけることがないよう、一観客としての立場から、言葉を選んでサイトの文中からていねいに相手の意図を読み取り、自分が見聞きしてきた記憶とサイトの画像と文章とを結びつけ、極力そこにある上下関係やしがらみ、人間関係に気を遣ってガイドサイトを作り続けてきました。それは、サイトの言葉を通して、相手と関わり、相手の主張によりそい、その本質を理解しようとする過程だと思いました。そう信じることができたからこそ、会社の仕事で疲れ果てていても、忙しさのあまり自分の部屋が掃除もできないほど荒れ果て、食事も作れないような状態になっても、ストレスがたまって原因不明で顔が腫れ上がってしまっても、わたしはガイドサイトを作り続けたのです。

 サイトをリンクして紹介するからには、そのサイトの制作者には喜んでいただきたい、と思ったのは当然です。それは、まるで、男の人と深く交わる時のように。わたしは、サイト相手のセックスを幾百回と続け、その感想を文章としてオールアバウトという場所に残し続けたのかもしれません。けれども、それを武器にして表舞台に出ようとした瞬間、わたしは藤野さんとcabさんを怒らせるという強烈なスキャンダルをくらい、誰ひとりわたしという存在を認めることができなくなってしまったのでしょうか。

 いや、わたしはもともと認められてなどいなかったのです。

 一斉同報で出された(らしい)サイトリンク承諾依頼のメールに対して、お礼やご挨拶やリンク場所訂正の返信メールはいくつかいただくことができました。演芸業界の中で力を持っていらっしゃるとおぼしき方からのものもありました。飯野さんが「偉い方にはこちらから話をしておきます」とおっしゃっていましたから、おそらく「メールでも出してあげてくださいよ」とか何とか言って出されたものなのだ、と思いました。かたじけなく思いました。そして、その期待に極力応えようと思いました。

 しかし、そのどのひとつとして、わたしの個人名を書いてメールをしたものはありませんでした。サイトリンク依頼の文書には、わたしの名前が書いてあったにも関わらず、業界関係者の方々からいただいたメールの中にわたしの名前をきちんと書いてあるものはほとんどありませんでした。それどころか差出人の表記まで抜けていて、誰からのメールなのかをアドレスのみで推測しなければならなくなり、用件にあった「サイトトップからのリンク希望」がどこからのものであるのかを理解するのに時間がかかってしまった相手もありました。それは、とある新聞社のメディア局からのものでした。いったい何を考えているのだろう、と思いつつ、それでも返事をくださった有難さと、そのサイトの重要性をかんがみ、わたしはそのサイトをその『新聞サイト』のカテゴリでのリンク集のトップに持ってゆきました。

 それなのに。そこまでやったのに。

 わたしは娼婦だったんですね。わたしは演芸業界とネットという場所で交わり、関わってしまったんですね。そして実は、わたしは、関わった、ということを、誰も認めることができない存在だったんですね。そう思うと、体のだるさがいっそう増すようでした。

 媒体連絡室の石丸課長の机の上に、ノートパソコンといっしょに雑誌が一冊置いてありました。その雑誌には『インターネットの主役』の特集があり、その中には『リクルート・アバウトドットコム・ジャパン社社長・江幡哲也さん』のインタビュー記事がありました。業務委託契約書では、そして新聞記事ではしばしばお名前は拝見していましたが、顔写真をきちんと見たのはこの時がはじめてでした。インターネットへの夢と展望を語っていらっしゃいました。この人がリードする会社に認められた、ということを誇りに思いました。会ったことはないけれども、これからも会うことはないだろうけれども、わたしはこの人とサイトガイドの契約を交わしたんだ。会社の雇用契約書にも使ったことのない印鑑登録した実印を、生まれてはじめて契約のために使ったんだ。そう思いながら、わたしは雑誌をそっ、と課長の机の上に戻しました。

 そんなことを思ったりした土曜出勤は表向きつつがなく終わり、昼過ぎにわたしはひとり、電車を乗り継いで家に戻りました。そしてシャワーを浴びたあと、だるい体をひきずりながら、歩いて下北沢の北沢八幡宮に行きました。ここは作家でもある落語立川流の真打・立川談四楼(だんしろう)師匠が、落語会を定期的に開いている場所でもあります。一度、ご贔屓の立川談春(だんしゅん)・志らく両師匠が出演した時には、会社が終わってから、かけつけて見に行きました。

 ・・・北沢八幡の神様、どうかわたしがやった失礼をお許しください。どうか落語立川流を、そして落語に関わる皆さますべてをお守りください。わたしは手を合わせて必死に祈りました。

 その後、下北沢駅前で、淡いピンクの男物のたっぷりした綿のニットベストを買いました。ベージュ系統の色が似合うわたしには、はっきり言ってピンクという色は、あまり似合う色ではありません。しかし、せめて、今、服だけでも女らしい優しい色に包まれていたい。そして今、わたしは誰に対しても敵意は持っていない、優しい心持ちでいるということを表現したい。ピンクという色は、今、わたしという人間に関わってくださるすべての方々への精一杯の感謝の気持ちの表現のつもりでした。

 家に戻ったわたしは、オールナイトに備え、少しでも仮眠をとっておこうと、その景気づけに柳家喬太郎師匠の『東京ホテトル音頭』(注11)のCDをセットしました。そうだ。わたしはホテトル嬢なのかもしれません。週刊誌『アサヒ芸能』に連載された『ダジャレ芸術協会』にダジャレ作品が何度か掲載され、真打としての名前もいただいているわたしとしては『ホテトル嬢』という呼ばれ方は、『娼婦』という言葉以上に自分にふさわしいものに思えてなりません。言葉を変えることで、ちょっとだけ気持ちが楽になったように思えました。

 ・・・わたしはホテトル嬢なんだ。

 何度もそう思いこみながら、わたしは、喬太郎師匠の切なくものんきな歌声の中、じゅうたんに横たわり、少しでも体を休めようと目を閉じました。18番が終わった後の最後のサビが、自分のことのように聞こえてなりませんでした。

(2003.10.8)
(つづく)


i-mode用目次