No.6 サイトオープン、おめでとう!

 そんなわけで、わたし自身の直接の演芸関係者への挨拶はなくなりました。ですが、サイトオープンの挨拶をしなければいけません。わたしは、サイトオープンに先立ち、前もっていくつかの演芸関係サイトのオーナーや管理人の方に、サイトリンクのお願いも兼ねて、メールを個人的に出していました。演芸については最大のコミュニティを誇る、メイリングリスト『熊八ML』の主宰、鎌田さん。わたしがいつも演芸についての言葉を書き込んでいる@niftyシアターフォーラム演劇館FSTAGEの会議室のシスオペの『こさ』さんからは、統括するシアターフォーラムの『史(あや)』さんに連絡をしてくださる、とのお返事をいただいていました。そして、自分が知り得た演芸情報をトピックスの形で書き続けてきた『週刊FSTAGE』(注6)の神保(一寸小丸)編集長。

 それのみならず、サイトを作る上で、直接もしくはメールで意見を伺うことのできた方々も少なからずいらっしゃいました。忙しい新聞記者の身でありながら、一年間新宿末廣亭に通い続け、定点観測の本まで出してしまった長井“たすけ”好弘さん。そして、その長井さんに著書の中で『客席王』との称号をもらってしまった、演芸関連のサイトのアドレスリンク集『WWW pages about RAKUGO』の作者、ちばけいすけさん。ネットでじっくりと鈴本演芸場や末廣亭の高座の音声を聞くことのできるコンテンツを持つサイト『SSweb』の事務所や、落語芸術協会の事務局にも足を運びました。そして凡平さん、『東京かわら版』の佐藤さん、中田キッチュあにさん。その他、いくつかのマスコミの方にも連絡をして、好意的なお返事をいただいたりもしていました。

 もし、無事に何ごともなくサイトがオープンしていたならば、わたしは、これらの方々のお名前をすべて出し、心からの感謝の意を示すつもりでした。わたしに対して、ちょっとした特ダネ情報を教えてくださった方もいらっしゃいます。しかし、今、この方々のお名前を出すわけにはゆきません。藤野さんやcabさんのお怒りは、あくまでわたし個人に対してのものです。そのわたしに対する憤りが、わたしと関わった、というだけでこの方々のもとに、そして場合によっては、その方々が所属していらっしゃる団体や会社に散らばってしまうようなことがあっては困る、と真剣に考えました。この方々のみならず、演芸に関して言葉を持とうとするすべての方々が、今後も、自由に、それぞれの形で自在に演芸に関わり続けることができるようにするためにも、おふたかたの怒りは、わたしという段階でせきとめなければいけません。

 わたしは『しあたー名人会』(注7)に挨拶文を書きました。

sub:よろしくお願いします。

とりばかまです。

本日はご挨拶に伺いました。

『人がナビゲートするポータルサイト』AllAbout Japanというサイトがあります。実は、こちらの『落語・寄席・演芸』サイトのガイドをわたしとりばかまが本名でつとめることになり、本日サイトがオープンいたしました。顔写真を出して。もう逃げられない。どうしよう。

サイトを作る上においてお話を伺わせていただいたり、また資料を参考にさせていただくことをお許しいただいた皆さま、ほんとうにどうもありがとうございました。そして、何より、サイトリンクをご承諾いただいた皆さま、心より感謝しております。
(サイトオープン前後の混乱で、若干、リンクの連絡が行っていないサイトがございます、不都合がございましたら至急ご連絡ください)

どうか、こちらを足がかりに、興味のあるお好きなところに飛んでいってください。そのためのサイトです。

これからどうぞよろしくお願いいたします。
http://allabout.co.jp/entertainment/rakugo/

AllAbout Japan『落語・演芸・寄席』ガイド
金澤 実幸(rakugo@im.allabout.co.jp)

P.S.この件でご心配とご迷惑をかけた『しあ名』の皆さま、ほんとうにごめんなさい。

 文章を書き終え、この書きこみで誰にも迷惑がかからないことを何度も何度も確認して読み直した上で、会議室の書きこみのための画面上の『送信』のボタンを押す作業が、つまりはマウスをクリックする、というだけの作業が、とてつもなく重たく感じられました。ふだんの書き込みではありえない状態でした。そして『熊八ML』にも同じような、でも少しだけ異なる内容の文章をどうにか送信しました。

 でも、もう限界でした。

 大友さんに会いたい、と強く思いました。助けて、と言いたかったです。しかし、今、会ってしまったら、この方に自分がしたことの責任を取らせかねない、と思いました。その一方で、わたしがこの事態を収拾させるために、この人に頭を下げなければいけなくなる、とも思いました。どちらもそれは嫌でした。

 オールアバウトのサイトの文章は、ひとりで書き上げたものです。誰の手も借りていませんでした。誰に相談していいのかもわかりませんでしたし、飯野さんからのサイト作りに関してのアドバイスや助言は良くも悪くも一切ありませんでした。サイトの分類そのものも、ひとりで精いっぱい考えて決めたものでした。

 この先、藤野さんやcabさんを怒らせ、自分の顔写真をサイトにさらしたままで会社員としての仕事を続け、その上で寄席やそれぞれの団体の事務所や芸人さんにお会いして、今後、文章を書く上での取材が十分にできるとはとても思えませんでした。

 今、オールアバウトを辞めれば、わたしの顔は必要以上に演芸関係の方に知られないで済みます。わたしはひとりの普通の観客に戻ることができるでしょうか。

 オールアバウトを辞めよう。

 わたしは、そう決断して、飯野さんに、ガイド辞職の意思を、メールで出しました。そして、その後に、大友さんに、改めて「お会いしたいです」とメールを出しました。

 いつからでしょうか、サイト制作の中で、そしてサイトオープンが近づくにつれて、吐き気を感じることがしばしばになっていました。その吐き気は時と場合によって、体のあらゆる部分からこみあげてきました。胃の奥、胸、のどの奥、そして口元。その吐き気は、他人のわたしに対する敵意を示している、と思うようになったのはいつからのことでしょうか。体の奥からの吐き気のほうが、より強い憎しみを示しているように思えてなりませんでした。そして、この日は、内臓のすべてが拒否反応を示しているような、ことに激しい吐き気を覚えました。

 気持ち悪い。むかつく。わたしは、演芸業界の数多くの方々に憎まれている。嫌われている。恐れられている。より強くなる吐き気とともに、その思いは確信に変わりました。吐き気が胃の奥からこみあげ、あわててトイレに行き、便器に頭を突っ込みました。しかし、もどすものは何もありませんでした。じゅうたんの上に体を横たえました。えたいのしれない重圧が横になった全身にのしかかり、体が強くけだるく感じられました。眠らなければいけない、と思いましたが、目を閉じてもびりびりとした感覚が神経を刺激して、安らいだ心持ちにはなれませんでした。汗も、涙も出ませんでした。口の中が熱く渇きました。体の熱が布団の中にこもり、掛け布団が体の上をすべりました。

 苦しみの中、結局、サイトオープンの今日、自分に「おめでとう」と直接おっしゃってくださったのは、cabさんの抗議のメールの冒頭だけだった、ということに気づきました。ありがとうございました、cabさん。けれども、それはなんて皮肉なことなのでしょうか。わたしはあなたの信頼を裏切ってしまいました。ごめんなさい、cabさん。

 いちばん迷惑をかけてしまった方にしか直接の祝福の言葉をいただけなかった、というこの皮肉な状況。かたじけなさと申しわけなさが圧力となって体じゅうにのしかかってくるようでした。

 本来ならば、この日は祝福された一日になるはずでした。ですが、現実のわたしは、布団にくるまりひとりきりでのたうちまわりながら、4月18日の長い夜を過ごしていました。

 そして翌朝。

 大友さんからメールが届いていました。『とらわれの日々』という題名でした。いちばん待っていた方からの言葉です。わたしは、飛びつくように、メールを開きました。しかし、原稿を書いていらして、とても忙しくて会うことはできない、とのことでした。

 わたしはがっかりしながら原稿を読み進めました。「東京かわら版ネットの準備で忙しい」とも書いてありました。『東京かわら版ネット』? いったいそれは何のことだろう、とも思いました。そして『せんべえ』(注8)というハンドルが書かれている最後まで文章を読み終えたのですが、その文章の中には、オールアバウトのサイトについては、ひとことも言及がされていませんでした。サイトはオープンしたにもかかわらず、です。熊八や『しあ名』にも書き、編集部にも前もって挨拶して電話でお話したにもかかわらず、どうしてこの人は、わたしがやったことに何も言及していないんだろうか。

 そこにわたしはただごとでない何かを感じとりました。きっと、触れることができない事情があるのだろう。それは、たぶん、藤野さんとcabさんを怒らせてしまったことに違いない。そう思うと、わたしはとてつもなく恐ろしい心持ちになりました。しかし、それ以上に心配なことがありました。そういう忙しい日々の中でも、大友さんは落語家さんの会に行って打ち上げにもきちんと参加なさり、飲みすぎて吐きそうになってしまった、という文章がありました。

 違う。とらわれているのではない、と思いました。強くそう感じました。この方は、わたしにとって必要な方であるかもしれないけれども、それ以上に、芸人の方々が必要としていらっしゃるからこそ忙しいのだ、と思われてなりませんでした。そういう方を、わたしごときがオールアバウトのことでかかわずらわせてはいけない。もちろん、自分も今はすごく苦しい。ひとりきりでどうすればいいのかわからない。でも「もし会うことができたら」と思うことで生きる希望が生まれた、と感じている自分がいることに気づきました。  「とらわれているのではありません。必要とされているから忙しいのだと思います」。

 返信しようと書いていたメールの中から、その言葉を削りました。その言葉は、この次会うことができた時にこそ、直接、きちんと伝えるようにしよう、と思いました。そして、極力無難な話題を探して、メールを返しました。

 「毎日新聞の東京版の木村万里さんの文章の中で紹介しているライブの招待に応募したいと言って、わたしの名前を貸してくれ、と言ってきた、神奈川の知り合いがいます。何考えてるんでしょう」

 会いたいです。ものすごく会いたいです。けれども、何ものでもないひとりのおねいちゃんとして、わたしのしでかしたことに対して責任を負わせることなくお会いしたいんです。

 家にひとりでいると、とてつもない重圧が自分にのしかかってくるようでした。オールアバウトを、2ちゃんねるを見てしまうと、そこでの言葉がまたすべて自分にはねかえり、憶測の向こうの憎悪と恐怖が襲ってきてしまうようでした。この重圧が、少しでも軽くなる場所に行きたい。どこがいいだろう。

 ふと、明治神宮に行こう、と思いました。神さまがいる場所では、きっと何事も起こらないに違いない。

 初台駅まで京王新線に乗って、参宮橋口から明治神宮に入りました。しばらく参道を歩き杜の中を見つめた時、新鮮な木の切り株があるのが見えました。木を切ってからまだ時間がそれほど経っていないのか、中に空洞を持った切り口はまだみずみずしさを保っているように見えました。ふかふかの土をヒールでつぶしながら切り株に近づき、その上に静かに腰をかけました。少しでも安らぎたかった。安心できる場所にいたかった。そして、わたしはMDでhitomiの『INNER CHILD』を何度も何度もリピートして聞き続けました。

 わたしはやりたいことをやることができたのです。リクルートという傘のもと、オールアバウトという場所で、落語・寄席・演芸のすべてのサイトを網羅するガイドサイトを作り上げることができました。しかし、それは何かを失うことにつながってしまったように思えてなりません。わたしは、いったい何を得て、何を失ったのでしょうか。切り株に座り、涙を流しながら必死に考えました。しかし、その答えはどうしても出てきませんでした。

(2003.9.30)
(つづく)


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