No.5 靖国神社と水天宮(2)

 歩きながら佐藤くんと懸命に会話をしていると、九段下で突然電話が切れました。目の前には靖国神社がありました。大病をして以来神社に通うようになった母親に影響されたのでしょうか、わたしも悩んだ時には神社に足を運ぶことがありました。しかし、それは世田谷に住んでいるわたしには明治神宮であり、靖国神社は桜の季節にも足を運んだことはありませんでした。

 佐藤くんから再度電話が入りました。

「あ〜、すいません、電話の電池、切れちゃったみたいで」
「いえいえ、いいのいいの、ごめんね、長話しちゃって。とりあえず、今、わたし、なぜか靖国神社の前にいるの」
「おーっ、鳥肌実っすか?」
「・・・あのねえ・・・」
「まあ、がんばってくださいよ、また電話します」
「ありがとう」

 改めて電話を切りました。

 なぜ、この時に靖国神社。けれども、誰にも何も言えない状態の中、何でもいいから何かにすがりたい、そんな思いが自分の中に切実に生まれてきつつありました。わたしは吸い込まれるように神社の中に入ってゆきました。

 観光客らしき人が数多くいます。白い鳩が境内でたわむれています。厳粛さと穏やかさが入り混じった空間で、春のみどりの下、ベンチでビジネスマンや学生らしき人たちが少なからずくつろいでいます。わたしは、ひたすらに手をあわせました。

 鉄の鳥居をくぐり抜けて外に出ると、またあり余った時間がのしかかってきました。どこに行こう。どうしよう。誰かに会いたい。会って助けて、と言いたい。けれども、誰にも会えない。何も言えなくなってしまった。会うとその人に迷惑がかかってしまう。会社の仕事で電話に出られなくて、コールバックしたらいきなり「名を名乗れ!」だなんて、何て説明すればいいんだろう。誰がそんな状況を解決できるというんだろう。

 ふと、妹夫婦と生まれてまもない甥の顔が頭に浮かびました。先日、義弟が勤める会社は倒産してしまいました。わたしがオールアバウトをやる、という運をもらってしまったので、会社はつぶれてしまったのではないだろうか。自分が偉くなることで、義弟の職業運まで奪ってしまったのではないだろうか。そういう激しい後悔の念がわたしを襲いました。そしてわたしは九段下から地下鉄半蔵門線に乗ることにして、水天宮駅で降りました。たどりついた水天宮は、特にどうということのないのどかな時間が流れていました。おなかの大きい若奥さんや、子供を連れたおばあさんが、足早に通り過ぎるビジネスマンにまじって、ゆったりと歩いていました。わたしはひたすらに妹夫婦と甥のために、そして東京の演芸界のために祈りました。水天宮を出てから見当もつかないままに道をまっすぐ歩きつづけ、気がつくと、目の前は隅田川でした。わたしは清洲橋のたもとにいました。空は薄曇りでした。曇りなのに、そうわかっているのに、目の前に広がる光景は真っ暗でした。

 わたしは、落語を楽しむ一観客でしかなかったはずです。しかし、オールアバウトという場所で『書く』ことにより、観客であることから文章を書く側に移ることを選択してしまいました。ふつうの観客でなくなってしまったわたしは、これから、どういう立場に立って演芸について文章を書いてゆけばよいのでしょうか。客席に、どんな顔をして座ればいいのでしょうか。そして、わたしが『書く』ことによって選んでしまった立場とはいったい何なのでしょうか。

 東京の落語家の所属する団体には、落語協会・落語芸術協会・立川流・円楽一門会の四つの団体があります。それぞれの団体・流派に所属する方々のサイトを調べて集め、それを真打・二つ目・前座の香盤(こうばん)順に並べ、ファンサイトと公式サイトの違いがわかるようにして、解説文を書く。わたしは、それぞれの事務所に、プレビューサイトの画面をプリントアウトしたものをFAXして「リンクご了承のほどお願いいたします」と電話をかけました。その過程は、会社で求人広告を校正する時と同じようなプロセスでやったつもりです。広告という商品は、掲載内容について顧客のOKを取れない場合は、原稿掲載を進めてはいけません。それは仕事の中で叩き込まれた原則でした。サイトリンクの承諾も、同じようにやったつもりです。

 けれども、その時、どうして電話口の向こうの皆さんは、妙におびえたふうだったのでしょうか。藤野さんしかり。立川企画に電話をした時も、そんな感じがしました。落語協会に電話をした時も、電話の向こうで名前を名乗る男性の声は、なぜかあきらかにひっくりかえっていました。もし、万が一大きな間違いがあったりしたら失礼にあたるから、公式には認められなくてもいい、サイトの記述に間違いがあるといけないから目を通していただきたい、そして確認していただきたい。わたしの中にはそれだけの思いしかなかったのです。けれども、わたしに対峙(たいじ)される演芸業界の皆さんのおびえ方は、どう考えても尋常でないように思えてなりませんでした。

 わたしは、何か間違ったことをやったのでしょうか?

 皆さんは、きっと、わたしの後ろのオールアバウト、つまりはリクルートという会社の存在におびえていらしたのに違いありません。その会社の力に甘えて、わたしは大それたことをしでかそうとしていたのでしょうか。そして、そんなわたしに対し、神様は、藤野さんやcabさんを通して罰を与えようとしたのでしょうか。

 新聞記事でみつけたサイトガイド募集の記事をもとに『落語・寄席・演芸』のジャンルのガイドの選考を通過して、オールアバウトのガイドになることが決まったのは、バレンタインデーが過ぎた時期のことでした。まだそのことを表立っては言わなかった時期に、わたしは池袋演芸場での落語協会の二つ目の出演する祝日開催の落語会『福袋演芸場』を見に行きました。その時、サイトガイドになることを話していたのは、親しい前座の立川こらくと、『東京かわら版』の大友編集長だけでした。こらくはともかく、演芸情報誌の編集長であるところの大友さんにお話をしたのだから、大友さんと親しい芸人さんにはある程度の情報は流れているだろう、と覚悟はしていました。しかし、その時高座で話される内容は、オールアバウトのガイドになろうとする自分に突き刺さってくるように思えてなりませんでした。『立川流』『東京かわら版』『インターネット』ちょっと落語に関する裏事情を過剰に知った人ならば、くすっ、ときてしまうちょっとマニアックなくすぐりが、すべて客席に座る自分を意識したもののように思えました。見ることのできない楽屋内が『【鳥袴たつみ】であるところの金澤実幸』という存在に対決しようと、団結しているように思えました。そして、それが必ずしも気のせいだけではない、ということを痛感したのは、終演後のロビーの空気でした。

 前回少なからず知った顔の落語家さんが数多くにこにこと笑いながら出口に立ち、賑やかだったロビーに、この日は落語家さんはぽつぽつと数人しかいらっしゃいませんでした。誰か知っている人に会って「わたし、オールアバウトをやります」って挨拶したかったのに。自分の存在は、芸人さんに少なからぬプレッシャーをかけてしまっているんだ。

 閑散としたロビーの空気に申しわけなさを感じつつ演芸場の階段を上り、演芸場を出てから、ライターの凡平さんとお会いしました。演芸に関する本を出されたライターとして教えを乞いたく、お話する時間を割いていただいたのです。

「いやあ、くやしいなあ、知っていたらぜひ応募したんだけど。そういうの好きなんですよ!」

 そういっていただいて励まされた気持ちになったりしたことなどを思い出しながら橋を渡り、わけもわからず歩きまわり、気がついた時、わたしは両国駅前にいました。総武線各駅停車上り方面、両国の次は浅草橋です。浅草橋には『東京かわら版』の編集部がある(注5)、ということはもちろん知っています。両国からも歩いてゆける場所です。

 オールアバウトをやる、というので、やることが決まった時ですから、3月の半ば過ぎだったでしょうか。真っ先に挨拶に伺わせていただいた場所です。会社の休みをようやっと取れての訪問だったので、前日に連絡をとっただけだったのですが、新宿のデパートで和菓子の手土産を買い、わたしは編集部に伺いました。その時、編集部には、佐藤友美(ともみ)さんがいらっしゃいました。雑然とした編集部で、実質彼女ひとりで懸命に雑誌の梱包と発送作業をなさっていらっしゃいました。編集部には通常の月刊の雑誌と刷り上ったばかりの『寄席演芸年鑑2001年版』が山のように積んでありました。かわら版を寄席や書店に運ぶのは腰に負担がかかり大変だ、というメールでの言葉を、きゃしゃな体にまきついたエプロンがはっきりと裏づけていらっしゃいました。痛々しい、大変だなあ、と思いつつ、何も手伝えない自分に申しわけなさを感じつつ、わたしは彼女と話をしました。そして自宅にいらっしゃった大友編集長に電話をつなげていただいて、少しだけお話をしました。そしてその後、恵比寿のオールアバウトの本社にはじめての打ち合わせのために伺いました。そんなちょっと前の出来事が、頭の中をよぎりました。

 しかし、この件は、『東京かわら版』編集部は関係ありません。迷惑をかけてはいけません。そのためには、編集部に近寄ってはいけない。連絡をとってはいけない。編集部に駆け込みたい。けれども・・・・。両国駅であたりを見回し切符を買い、うつむきながら総武線に乗り込み、JRと京王線を乗り継いで、わたしは家に戻りました。

 家のドアを開けた瞬間に、電話のベルが鳴りました。誰からだろう・・・・

「もしもし」
「はい」

 母からのものでした。・・・何だ。

「大丈夫?」

 いや、大丈夫じゃないんだけどね、実は。でも、無難に答えなくては。しかし声が出ない。

「ああ、大丈夫よ、また連絡するから、じゃ」

 何も大丈夫なんかじゃない。しかし、これは母親ではどうにもならない。身内に迷惑をかけてはいけないことなんだ。それなのに、母親しか話せる相手がいない、ということがたまらなく切ない。

 重い。苦しい。助けて。

(2003.9.26)
(つづく)


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