平成13年4月17日、水曜日。
オールアバウトジャパン『落語・寄席・演芸』サイトのオープンを翌日に控え、わたしはサイトリンク集の完成に必死になっていました。実は、サイトリンク集はまだ完成できていません。落語・色物関係それぞれの団体の所属や関係をきちんと把握した上で、公式サイトとファンサイトとの違いを見極め、サイトの解説文を書き、間違いがないように並べるのははっきりいって手間がかかる作業です。
最後まで完成できずに残っていたのは、寄席では『色物』と呼ばれるジャンルに関連したサイトでした。いくつかに分かれているそれらの団体は、その名称も実質もさまざまに分かれていました。それぞれの団体の立場と関係を把握した上で、サイト解説の文章を間違いのないように書き、作りあげなければいけません。
サイトを解説する文章を書いていてわからないことが出てしまい、誰に教えてもらおうか、と考えた時に、中田キッチュあにさんの顔が浮かびました。あにさんとは、オールアバウトのサイトガイドの選考を最後まで競った間柄で、今さら物を教えてもらうのは少々うしろめたい気もしました。ですが、他に教えてくれそうな知り合いもいなかったので、わたしは、家のパソコンから『教えてください』とメールを出しました。そうやって、朝、会社に出る直前まで、わたしはサイトリンク集を作り続けました。
そして、あわてて駅前の立ち食いそばで朝食をかきこんでから京王線に乗り、終点の新宿駅で降りて、歩いて勤務先の『アトラクティブ・アド新宿営業所』(注1)に出社しました。2日ぶりに出社した会社には、休んだ間の仕事が少なからずたまっていました。
昼、13時半。
この日は、遅番の昼食でした。いつも、遅番は12時半からなのですが、たまった仕事をなかなかうまく切り上げることができませんでした。それでもどうにかきりのいいところで仕事を中断させ、外出すべくロッカーからバッグを出し、PHSを取り出してみたところ、一件電話が入っていました。見慣れない番号でした。誰からだろう? 男ともだちの立川(たてかわ)こらくがバイトしている会社からでも「昼飯食わせてくれ」と電話してきたのだろうか。それとも? わくわくと疲れが相半ばした状態で、わたしは何げなく発信ボタンを押しました。
2コール目、電話が上がり、こちらがにっこり笑って「もしもし」と話し出そうとした、その瞬間です。いきなり、年配の男性のあからさまに感情的な怒鳴り声が飛び込んできました。
いきなりそう言われて、仰天しました。こらくがふっとび、想像を超えた事態に頭の中が白くなり何も考えられなくなりました。今思うと、その声は、今までの人生で経験したことのない、荒々しく理不尽で感情的な怒りとおびえに満ちていた、ように思います。
「あ・・・・あの・・・・」
「・・・だ、誰だ!」
「・・・・え・・・・あ・・・」
求人広告の代理店の営業事務として、会社でいろいろな方からの電話を受けてきました。社内でも上司には怒鳴られてばかりの毎日でしたから、多少の怒鳴り声や理不尽な内容の電話には慣れていたつもりでした。しかし、電話に出られたとたんに、いきなり壮絶とも言えるような声で怒鳴られたのははじめての体験でした。ビジネスマニュアルでの電話応対には多少は自信があったつもりでしたが、そんなもん全部ぶっとびました。それも、相手とやりとりをしていて怒らせた、とか、かかってきた電話で怒鳴られたというならまだしも、電話をかけたとたんに相手に怒鳴られたその理由は全くわからず、昼休みでひと息つこうとしていたわたしの頭は大パニックに陥りました。
「そちらから名乗るのが当然だろう!」
・・・そう言われても・・・・
「あ・・・わたし・・・・いや・・・そちら・・・」
会社の仕事ならば上司に電話を変わってもらえばいい。しかし、これは会社の仕事ではありません。わたしは、会社の仕事とは別口で、オールアバウトのサイトガイドの仕事を、業務委託の形で請け負っているのです。
「・・・あ・・・・え・・・・」
名乗ってほしいのはそちらなのですが・・・・・。何も言えなくなってしまったこちらにイライラしたのか、電話口の向こうの相手は怒鳴りました。
「星企画の藤野だ!」
あっ!
電話が激しい音をたててがちゃん、と切れました。わたしはPHSを手に、ふるえていました。電話が切れてから、相手の名前と自分の中の乏しい知識と記憶を懸命につなぎ合わせ、どういうことなのか、事態が多少は見えてきました。
『星企画』というのは、4つに別れている東京の落語家さんが所属する団体のひとつ、円楽一門会の落語家さんの多くが所属していらっしゃる芸能プロダクションです。わたしは懸命に自分の記憶を探り、三遊亭円丈師匠の『御乱心』という本の中に名前が出てきた、ということにようやっと思い至りました。午前中に仕事をしている間、社長の藤野さんらしき方自らがわたしのPHSにお電話をくださったようです。そして、わたしは、仕事中で電話に出ることができなかったので、この方の感情を損ねてしまったのでしょうか?
前日、わたしは、星企画宛にサイトリンクの内々の承諾を得るべく、オールアバウトのリンク集のプレビュー画面をプリントアウトしたものにwordで作ったフォーマットをつけ、そこに文章を手書きで書き入れたFAXを電話の上送っていました。そこにはもちろん、自分のPHSと自宅のFAX番号を書いていました。
FAX送信のご案内
送信先・・星企画 藤野様
発信元・・オールアバウトジャパン『寄席・落語・演芸』ガイド
金澤 実幸
日付・・01・04・16
要件・・サイト内容についてのご相談
□至急! □ご参考まで ■ご確認ください □ご返信ください □ご回覧ください
突然のFAX失礼します。
このたび、落語関連のポータルサイトをリクルートの関連会社が開設することとなり、ガイド役となりました金澤と申します。落語関係をすべて失礼のないようにわかりやすく紹介するということで、円楽一門の皆さまのサイトをまとめましたが、不明な点がございますので、急で恐縮ではございますが、ご教示等いただけますでしょうか?
追ってご連絡いたします。
サイトオープンが迫ってのご相談で申しわけございません。
なお、ここに表記したサイト作者の方からは、御社さま以外からはリンクの承諾をいただいております。
送った2枚のFAXをもう一度見ながら、わたしは、自分の非を考えました。
もっと早い時間にこちらから電話連絡を入れた方が良かったのか。連絡希望の時間帯をFAXに書き込んだほうが良かったのか。昨日、FAXを送った直後に、事務の女性とお話して「明日、こちらから連絡します」とは言った。その時間が遅くなってしまったこちらにも非はある。その上、仕事時間中にPHSが鳴る可能性を忘れ、スーツのポケットの中にPHSを入れなかったこちらも悪い。しかし、前日まで数日続けて会社を休んでいたので、とても電話には出られる状態ではなかった、一会社員としての自分もいました。
震えながら懸命にわたしは気を取り直し、PHSの発信ボタンをもう一度押しました。10回以上ベルが鳴りました。そしてようやく受話器が上がり、女性のやわらかい声がしました。
「はい、星企画です」
「あの、わたくし、オールアバウトのかなざわ、と申しますが・・・」
「ええ、はい」
彼女とは、前日に電話で多少のやりとりをしていました。少なからぬ事情を察したであろう彼女の声がやさしく耳に響きました。わたしは、意を決してしゃべり出しました。
「あの、昨日そちらにFAXいたしましたが、どこかサイトリンクに問題はございませんでしたでしょうか?」
「少々お待ちくださいませ」
しばらく待たされてから、彼女の声が、ふたたび電話口から聞こえてきました。
「ええ、けっこうですよ、特に問題はありません」
「どうも、ありがとうございました、では」
ボタンを押し、わたしは、ふう、と息をつきました。PHSを持った手は、わなわなとふるえていました。
そういう中、昼休みを終えたわたしは、内心の動揺を抑えて何ごともなかった顔をして、ふだんどおりに営業事務の仕事をこなしました。そして、昼2時過ぎに、いつものとおり、新宿営業部から本社のある神田に、広告原稿とその素材を届けるべく外出しました。新宿駅から中央線の電車に乗り込んだとたん、緊張がほどけ、どっ、と涙が出て、ドアに頭を抱えてもたれこみました。そして、神田に行くはずが、気がついたら中野駅にいました。あわてて東京行きの電車に乗りかえ、何ごともなかったような顔をして本社に原稿を届け、新宿に戻ったのはいつものとおり、午後4時前になったでしょうか。
この日、仕事が終わったのは午後5時半の定時でした。
「それでは、明日はお休みをいただきます。明日休めばもうしばらくは休まなくていいです」
「そうか、まあ、なあ」
直属の上司である橋本次長は、あいまいな表情でうなずきました。サイトを作る、ということで、有給休暇をこれ以上取るというのは心苦しいものがありました。ですが、明日のサイトオープンの挨拶まわりを乗りきれば、あとは何とかなる。遠慮しないで、本気できちんと自分のような小娘と、藤野さんは向かい合ってくださった。そう思うとありがたい、とも感じました。オールアバウトをやる、というので、わたしは天狗になっていたのかもしれません。そこをきちんと叱ってくださったのは藤野さんだけでした。
演芸業界のこわさを知ることができた、と思いました。自分はいわば、雲の上のような業界の重要な方と関わることができたんだ。勉強になった、と思いました。その上で、これから、自分は、オールアバウトという場所で何ができるだろうか。
わたしは、内心の動揺を抑えつつ、翌日の挨拶まわりについて考えながら、家に戻りました。
(2003.9.16)
(つづく)