No.29 蹴転ねーちゃん、さらに狂う。

 充電式の青い縦型の掃除機と冷凍したあじの干物の残りとピンクの傘と1kgのダンベル2個、そしてグレープフルーツ1個。それらをカバンに詰め込み手に抱え、佐藤くんはわたしと母と一緒にアパートを出てくれました。傘は、実は佐藤くんからわたしへの誕生日のプレゼントだったのですが、折りたたみでないそれを静岡まで持ち帰る気力は、もうありませんでした。

 なぜかまた空にヘリコプターがばたばたと舞う中、途中でコンビニに寄りました。日比谷図書館と放送大学図書館からずっと借りっぱなしになっていた演芸関連の本をそれぞれ宅急便で返却する手続きを済ませ、それから京王線で新宿に向かいました。

「本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ助かりました、ありがとう」

 新宿駅、小田急線の乗り場の前で、わたしの部屋の残り荷物を全身に抱えた佐藤くんは丁寧におじぎをして、改札へ消えてゆきました。

「どうする? 東海道線で帰る?」
「いや、もうあんたも疲れてるでしょう。新幹線で帰りましょう」

 新宿駅で静岡までの自由席の切符を買い、東京駅からこだまに乗り、静岡駅からバスに乗って家まで戻りました。

* * *

 それからどうしたのか、そしてたどりついた家で何があったのか、はっきりいって、よく覚えていません。きちんと思い出すことはできません。・・・かろうじて思い出すことのできる最初の記憶は・・・「ガチンコ!」だったでしょうか、「学校に行こう!」だったでしょうか、そんなテレビ番組を見ていた時のことだったと思います。素人が部屋の中にいる様子を隠し撮りしていました。部屋に入ってきた彼がのたまった言葉が、でかでかとテロップで映りました。

「あ、ちょっと、その前に、トイレ」

 どっ、と笑いが画面にあふれました。しかしわたしは笑うことができませんでした。それは、まるで、ついさっきの警察での自分の様子をテレビが再現しているかのようでした。やはり、わたしの様子は、どこかで誰かに見られていたのかもしれません。そう思うと、今、ここでこうやってテレビを見ていることも、きっと誰かに監視されているんだ。わたしは激しく不安になりましたが、しかし、ではどうすればいいのかは全く見当もつきませんでした。

 夜、わたしは二階の自分の部屋のふとんに横になりました。

「・・・ごめんなさい・・・申し訳ない・・・藤野さん・・・cabさん・・・許してください・・・」

 うわ言のようにふとんの中でうめき続けました。言葉にしてはいけないと思いつつ、頭の中では処理しきれない現実を口から出さずには苦しくてたまりませんでした。

 許してください。
 ごめんなさい。
 わたしが警察に行ったことは間違いでしたか。
 わたしは会社を辞めました。
 これだけのことをすれば、わたしがしたことは許されますか。

 ・・・いつの間にか眠っていました。夢を見ていました。中田キッチュあにさんの顔が半分焼けただれ、わたしに向かって憎々しげにつばを吐きかける夢でした。

「・・・・一緒に寝てやろうか」

 母親が隣の部屋から入ってきました。ラジオをつけてくれました。『ラジオ深夜便』がぼそぼそぼそと流れる中、三十過ぎた娘の背中を、六十近い母親がそっと後ろから抱きかかえてくれます。

 けれども、何かが違います。

 男の人の胸で泣きたい。すべてを打ち明けて泣きたい。ついこの間まで、自分のそばにいてくれた男ともだちは、ひとりもいなくなってしまいました。

 さみしい。かなしい。くやしい。そして、こわい。

 ・・・ついさっきまでの警察の取調室での出来事が、夢のように思い出されました。白い柵が窓の向こうに見える部屋で、刑事さんに自分の言葉を聞いてもらった瞬間、わたしは、オールアバウトのサイトガイドとしての苦しみを、はじめてきちんと正面から受け止めてもらえた、という充実感すら感じていました。幸せと言ってもいいかもしれません。それなのに、その幸せはかんじんなところにたどりつく前にあっけなく終わってしまいました。わたしは、なぜ逮捕され拘留されることなく釈放されてしまったのでしょうか。そして、わたしは、これからひとりきりでこの街でどうすればいいのでしょうか。自分がしでかしてしまったことがもたらした結果のあまりもの重さと恐怖に、わたしは母親に背を向けて、こわい、こわいと、ただただ大声で泣き続けました。

 朝になり、母親が娘を呼びました。

「安く買って、ちょっと地味で着ることのできない服があるのよ。袖通してみる?」

 光沢を放つ薄緑色のブラウスがありました。背中にあるタグを見ました。ブランド名は『c.garcon』とありました。

 ・・・ガーコン・・・川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠の十八番(おはこ)の演目です。この噺は、古今亭右朝師匠が、生前、一度だけ浅草の木馬亭で怪演したのを最前列で中田キッチュあにさんたちと見たこともあります。そんなことを思い出しながら、わたしは涙目でブラウスを着ようとしました。

「駄目だよ、お母さん、前のボタンがはまらない」

 なんか、川柳師匠に「お前は俺の器に入らない」と言われてしまったかのように、わたしは深く落ち込みました。

「あら、そう。じゃ、いらないわね」

 そばに、象の姿をぬいぐるみのようにかたどったかわいいティッシュカバーがありました。横にブランド名が書いてあります。『NANDAKAWANG』ナンダカワカンナ・・・・もう嫌。思い出が、過去が、落語が、すべてにからみついてくるのはなぜ。わたしは、ティッシュカバーを前にべそべそと泣き続けました。

 母親が後ろから娘の肩を抱き、優しく言いました。

「何か言いたいことがあったら、言ってごらんなさい」

 言っていいんだろうか。聞かれているかもしれない。けれども、しかし・・・。もういい、言ってしまおう、と思いました。

「みんな、グルだったんだ!」

 大声で叫び、あえぐように泣き崩れました。東京では思っていても、どうしても口にすることができなかった言葉でした。いや、静岡に戻ってからも言うことができませんでした。言うことによって何かが終わってしまうような気がしていました。

 そう、すべては終わったんです。 

 目の前の山が崩れ、空が落ち、天から雷(いかづち)が落ちてきて、わたしは演芸の神から罰せられて殺されてしまうのか、と覚悟をしました。しかし、現実には、飼っている黒猫が猛烈な勢いで部屋を走りぬけただけでした。

「何か食べたいものある?」

 母親が叫びました。わたしは階段を下り、台所に行きました。しかし、食欲どころではなく、思い浮かぶのは落語のことばかりです。しかしそれでも食欲の底をさらうようにしてどうにか出てきた言葉。

「しゅんぎく・・・」
「春菊? ずいぶん時期外れなもの食べたいのね。スーパーで探しとくから。他に何かないの?」

 必死に考えました。そして、

「焼肉食べたい・・・」

 ようやっと言葉の出た娘を、母親は近所の大きな焼肉食べ放題の店につれていってくれました。店は開店したばかりで、他に客はいませんでした。店の有線から弦楽器の聞き覚えのあるイントロが流れてきました。『INNER CHILD』でした。瞬間、この曲を東京でひとりで聞いていた時の自分の姿が思い出されました。神宮の杜の中、ひとりで木の切り株に腰かけ、この曲を何度も何度もリピートして、自分の置かれた状態を懸命に納得しようとしていたあの時。

「わたし東京までひとりで歩いて帰る! それくらいのことをしないと自分がしたことの罪は償われないんだ!」

 温まりつつある鉄板の前で、わたしは叫びました。

「なんでそんなことをするのよ! それだったらわたしだってバイクで後ろからついて行く!」

 母親が涙声で言いました。でも、だって、これ以上あなたに迷惑をかけるわけにはゆきません。これ以上身内を巻き込んではいけません。お金ももうありません。ひとりで東京にヒッチハイクで戻って、その上でcabさんなり藤野さんなりに謝りに行こう。その途中で死んだとしても、そういう形で落語界の価値観に殉じることができたのならば、わたしは幸せだ。

「でもあんたがそんなことするんだったら、こっちだってやりたいことやらせてもらう!」

 母親は椅子から立ち上がり、向かいの席に座る娘の横に回って彼女の背中を抱きかかえ、上から覆いかぶさりました。

「ちょっと! やめてよ! 落ち着いて!」
「どっちが!」

 何もわかっていない母親がふびんで、かつ邪魔に思えました。取っ組み合いをする母娘の横で、鉄板の上に置かれた肉が、野菜が音をたてて焼け焦げる香ばしい匂いがしました。

「わかったよ、わかった。とりあえず東京には行きません。まずは肉を食べましょうよ」

 わたしは、のどの奥の痛みを押しつぶすように野菜を、肉を、ごはんを、水を懸命に飲み込みながら口の中から胃へと流しこみました。

* * *

 静岡に戻ったからと言って終わりではありません。生活する上でのいろいろな手続きがわたしに義務としてのしかかってきました。街の中心部にあるパートバンクに行き、そこからハローワークを改めて紹介されました。バスに乗って街外れのハローワークまで足を運びました。東京では、求人広告の調査部門の担当者として、何か所かのハローワークの担当者の方と名刺を交換したことがあります。しかし、ここに今いる自分はひとりの失業者でしかありません。わたしは生まれてはじめての失業保険の受給手続きを済ませ、わけもわからぬまま、科目の名前にひかれて職業訓練校の夜間コースの申し込み手続きを完了しました。そのコースは『情報リテラシー科』という名前でした。

 市役所にも行き、転入届の提出、国民健康保険の加入、そして印鑑登録も済ませました。住民票を持って警察に行き、免許証の住所変更もしました。警察に足を踏み入れた時にはちょっと怖くなりましたが、特に何事もなく手続きは終了しました。

 市役所の前、呉服町通りに面した小さなレストランで、お昼のランチを食べました。食後にコーヒーが出ました。ブラックのコーヒーを口にしようとした瞬間、そこに快楽亭ブラック師匠のアメリカ国旗の高座着と高座姿の思い出が蘇り、ひどく悲しくなって涙が出ました。

 その時『古畑任三郎のテーマ』が鳴りました。PHSを取り出し、番号を確認して通話ボタンを押しました。

「はい、もしもし」
「元気?」

立川こらくの声でした。

「いや、まあ。・・・・一門会どうだった?」
「ぼちぼちですね」

 わたしは今、静岡にいるんだ、ということ。そして君の額を警察に持っていったということ。しかし、そのことを口にすることはどうしてもできませんでした。

 隣の席の制服姿のOLが、ちんまりとしたカフェごはんを食べながら、けげんそうな顔でこちらを見ています。しかし、わかっていても涙を止めることができません。窓の向こうの市役所とテーブルに置かれたブラックコーヒーを見ながら、わたしは、電話の向こうのこらくに嗚咽を悟られないようにして、ただただ涙を流し続けていました。

(2003.12.3)
(つづく)


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