No.25 高尾太夫、狂う。

 「ただいま」。

 新幹線に乗り、静岡駅に降り立ち、そこからタクシーに乗って、わたしは追われるように逃げるように自宅に戻ってきました。しかし、家には誰もいませんでした。何度もチャイムを鳴らしたのですが、誰も出てきませんでした。わたしの危機を察知して、親はどこかに逃げ出してしまったのだろうか。わたしはひとりぼっちになってしまったのだろうか。わたしは、家の周辺を少なからぬ荷物を抱えたままうろうろと歩きました。時間のつぶしようがなく、仕方なしにもう一度バスに乗って駅に向かっているところに、PHSが鳴りました。母親からのものでした。ナツメロのコンサートを友人と一緒に見てきたという彼女は、上機嫌でした。

 バスを降り、再度家に向かい、わたしはようやっと家に入ることができました。しかし、わたしは東京で、ヘリコプターに追われるだけのことをしでかしてしまったのです。その不安と恐怖をどう説明して、どうやって理解してもらえばいいものか、しかしどこまで喋っていいものかわからないまま風呂に入り、夕食を食べ、7時のニュースを恐れながら見ました。テレビは、皇太子妃・雅子さまご懐妊のニュースがおごそかにずっと流れ続けています。

 親はそのまま『NHK歌謡コンサート』を見続けていました。演歌の歌詞が、不必要なまでに心に突き刺さります。愛が、恋が、何だって? 歌にすることができない、歌詞に、曲に思いを託して流すことなどできない事が、世の中にはいっぱいあるのに。わたしはそれを抱えてしまっているのに。

 わたしは混乱したまま、二階の部屋に敷かれたふとんに横になりました。時折、恐怖にうなされて目が覚めました。あまりのこわさにテレビをつけると、久しぶりに見る静岡のテレビ局の番組は、すべてがわたしを監視していました。すべてがわたしをとりまく状況そのままでした。松田優作のテレビドラマの再放送も、えげつない言葉が飛び交う深夜のバラエティも、衛星放送の番組の地上波での再放送をするNHKも、そして民放が放送を終了した後に映し出す街の夜景の赤いランプの点滅の具合も、すべてがわたしが何をしているかを誰かに知らせている合図にしか思えませんでした。

 朝5時。

 がたん、と音がして、わたしはふとんから飛び起きました。車の音がしています。わたしは出かけなければならない、そう思いました。熊本で、誰かがわたしを待っていてくれている、そう思いました。

 わたしの中には物語があります。紺屋高尾には物語があります。その物語は、ここでは危険すぎて書くことはできない。熊本に行って書かなくてはならない。なぜか、そう思えてなりませんでした。

 母親が起きてきました。

「・・・ちょっと、いったいどこに行くの」
「いや、ちょっと、駅まで」
「なんでこんな朝早くに」
「何言ってるのよ、それだったらお父さんと一緒に行く?」

 父親は、朝早くに出勤します。かといって、来られても困る。

「まあ、いいから寝なさい」
「だってそんなこと言っても」

 わたしはテレビのリモコンのスイッチを押しました。・・・ご〜ん。NHKは、ちょうど寺の鐘が鳴るところを放映していました。その音は「今日はゲームセット、あきらめなさい」と言っているようでした。わたしは家を出ることを断念して、再度ふとんに横になりました。

   改めて目覚めた時、テレビにはタレントが出て、バカっ話に興じているところでした。

「おや、今日はどうしてそんな派手なストッキングはいているんですか? まるで内出血してるみたいじゃないな柄じゃないですか」
「失礼な、内出血なんて!」

 どっ、と画面の中にスタッフの笑い声が起こりました。わたしはジーンズのすそをめくり上げました。わたしの右のすねには、テレビに出ているような『内出血』がそのまま、へばりついていました。

 朝ごはんを食べてから、母親といっしょに、自宅の裏の山に登りました。小高い丘を登る途中、何度も竹やぶに寝転がりました。木に抱きつきました。そうすることによって『癒し』を得ることができるのならば、と、必死にぼーっ、としようとしました。しかし、それくらいでは癒されることなどない東京での現実が自分の中に重圧としてのしかかかってきます。

 竹やぶの向こうに透かし見える青空を眺めながら、ふと、中田キッチュあにさんに連絡をとろう、と思いました。あにさんに「ごめんなさい」ときちんと頭を下げて、その上で引越しを手伝ってもらおう。そう思いながら、母親に促されてようやっと立ち上がり、山の上にたどりつきました。栽培されているみかんの木とお茶の畑の中を走る農道を歩きます。道は昔に比べると整備され、小さなハイキングコースのようになっています。道の向こうから、犬を連れて歩いてきた年配の男性がいました。

「おや、前はおたくは、犬を連れていませんでしたっけ?」
「ええ、もう、数年前に亡くなっちゃったんですけれどもね」

 母親はにこにこ笑いながら、その人の問いに答えます。

「ああ、もうそんなになっちゃうかねえ。ついこないだだと思っただけえども。おらっちも昔犬がいただけえが。うちらも亡くなっただけれどね、焼いた骨をこうやって小さい瓶に詰めていつも持っているだよ」
「あら、そんなことやってるんですか」
「ああ、ほれ、過ぎたことは思い出で持っていりゃあいいだよ。なあ」

 ・・・そうか。もうすべては過ぎたこととしなければいけないんだ。思い出は瓶に詰めて忘れないといけないんだ。おやじさんの懸命な静岡弁を聞きながら、その横で元気にはしゃぐ犬を見ながら、わたしは、この方に過去の思い出を捨てろ、と教えられているような心持ちになりました。このおやじさんはそのことを教えるために、こんなところに現れてくれたんだ、と思いました。ご苦労さまなことです。わたしはこのおやじさんの努力に免じて、中田キッチュあにさんに連絡をとることを断念することにしました。

 山道を道なりにくだり、清掃工場の裏を通り、オープンしたばかりの市営の温泉施設を見て、山を貫くトンネルに入りました。歩道のない、細いトンネルの壁を這うようにして歩くと、その横をトラックや清掃車がスピードを出して通り過ぎてゆきます。トンネルの天井からは、ぽた、ぽた、と、水がわたしの頭の上にしたたり落ちてきます。車に乗り込むことのできなかったわたしのこれからの人生は、いつ、どうやってトンネルを抜けることができるのでしょうか。  

 家に戻り、母親が聞きました。

「で、いつ東京に行けばいいのよ?」

 荷物はまだ東京に置いたままです。しかし、早く荷物を引き払わないと、余計な家賃が発生してしまいかねません。極力余計な負担を少なくして静岡に戻るには、今月中に引越しを完了させないといけません。

 もう、誰とも連絡をとることは許されないのです。東京に戻って誰かに連絡をとってしまったら、その相手の身に危険が及んでしまうでしょう。真剣にそう思いました。東京には行きたくありません。母親を連れてゆきたくありません。体の弱い彼女を危険にさらしたくはありません。しかし、彼女につきそってもらうしか、手立ては他にないのです。母親は、娘の引越しのために、50万円という少なからぬ金額をサラ金から借りてくれていました。その中のお金をどう使えばいいのか。引越し費用、交通費、そして、静岡に支店のない銀行から借りたローンは全額一括返済するほかはありません。おびえと面倒臭さがあいまった中、わたしはそれでも何とか大家や銀行などに電話をかけ、母親とふたりで上京する日程を決めました。

 そして数日後、わたしは母親と静岡駅から新幹線に乗りました。運良く乗ることのできた『ひかり』の自由席は混んでいました。通路に立ったまま、列車は東京に近づいてゆきます。

 たしか、『相模川を越えた』という表示が出た直後のことでした。

「は〜あ」

 席に座っていたひとりが、ため息をつきました。すると、まわりの客がすべていっせいに「は〜あ」とため息をつき、ごそごそと話をしながら、黒い上着を身にまといはじめました。自由席なのに、東京駅はまだなのに、どうしてみんな一斉に喪にでも服するような行動をとるのだろうか。これは、わたしのしたことが間違っていた、ということを示す何かのパフォーマンスではないだろうか。わたしは、恐怖のあまり、母親にしがみつきました。

「こわい、こわい」
「大丈夫だから」

 家に入るまではとりあえず平静な表情を保とうと思っていたのですが、もうダメでした。新幹線の中、そして東京駅で降りて乗り換えた中央線の中、何を見ても聞いてもすべてが自分を監視していました。周りにいる人は、すべてわたしを見ていました。車両にいる人全員が自分を無表情で責めていました。とりあえず、母親と手をつないでいることだけが自分にとっての救いでした。しかし、そうしていると三十過ぎの自分は幼稚に見えるだろうと思いながら、彼女にしがみつかずにいられませんでした。ひとりきりだったら恥も外聞もなく泣き叫んで助けを求めることができるのに。そう思いながら、彼女の手を離すことができませんでした。

 新宿駅から小田急線の下北沢駅で下車して、区役所の支所に向かいました。先日、立ち寄ったばかりの相談室を横目で見ながらわたしは区民窓口に行き、おびえながら自分でひとつひとつ手続きを済ませました。転出届の提出。そして、数年前に盗難されて以来、面倒だったので税金を払いっぱなしでいた原付バイクの登録の抹消。それに、印鑑登録の抹消も。世田谷区に十数年あまり住民票を置き続けて生活し続けてきた区民のひとりとして、最後に全力でやり遂げるしかない些細な事項が山ほどありました。

 区役所の窓口に置いてあったテレビは、東北に逃げのびた武家の話を放映していました。戦いに敗れ、逃げた地で仏教に帰依して救いを求めた落武者の姿は、今の、そしてこれからの自分の姿に思いきりオーバーラップするようで、恐怖にとりつかれたわたしは、画面から目を背(そむ)けようとしつつ見つめてしまいながら、事務手続きをようやっと済ませました。そして、その後、銀行でも手続きを済ませました。

 とはいえ、下北沢からアパートまでの道すがら、わたしと母親の関係は最悪の状態と化していました。他人にどう見られているかを考える余裕などないまま、ふたりは大声で怒鳴り合いながら歩き続け、20分ほど歩いてどうにか部屋にたどりつくと、畳の上にへたりこみました。留守番FAXのランプが激しく点滅しています。テーブルの上に置いてあった鉢植えの木は、空のアンプルが2本突き刺さったまま、枯れ果てていました。

(2003.11.23)
(つづく)


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