No.7 許せないのは誰なのか(1)

 オールアバウトのサイトが始まっても、日常は何事もなく過ぎ、わたしは翌日から普通に会社に出社して、ごくごく平凡に仕事をこなしていた、つもりでした。そんな中、本社の営業部から常務が打ち合わせにやってきました。それもなぜか大きな細長い箱を抱えてやってきました。そして、橋本次長と今月の売上げについてざっくばらんに話をしました。そして話が終わった常務は、妙にあわれみを持った目でわたしを見て帰っていった・・・ように、思います。

 そういえば、ここ数日、次長が妙に小さく見えています。かわいらしく思えます。いや、そうではありません。それは、わたしに対する態度が妙に卑屈になっているからなのだ、ということに気づきました。何で涙目でわたしを見るんだ? どうして妙に態度が遠慮じみているんだ?

 オールアバウトがはじまってからというもの、いつもは怒鳴りまくっている橋本次長のやさしい、というものを通り越した奇妙な態度に不気味さと気持ち悪さを感じ、わたしは職場でどうにも居心地の悪さを感じていました。

 わたしの仕事のひとつには、新聞や求人誌に掲載された広告を切り抜く、という仕事もあります。自分の営業所の扱いの広告を確認・保存するために、雑誌の発売日には書店で雑誌を買い、オフィスに持ち帰ります。そして、営業さんの資料として使ってもらうべく、自社の営業所の取り扱い分は切り抜いてスクラップブックに貼り付け、営業担当のエリアにある他社扱いの広告は、資料として分類して各自の机の上に置きます。また、求人誌には、求人広告のみならず、企画記事や有名人のエッセイやインタビューなどの独自の記事もあります。それを流し読みするのも仕事中の楽しみのひとつです。『目指せ年収一千万円』や『目的を持った転職』などのバラ色の未来を指し示す言葉の夢の中に、会社の机に座りながら入り込むのも楽しいものです。わたしは、そういう経緯で買ったいつもの『B-ing』を机の上で読んでいました。

 その日に発売された『B-ing』の巻頭記事、第二特集は会社員の副業特集でした。その中に、オールアバウトのサイトガイドが数人、掲載されていました。それを見た瞬間、ピン、とくるものがありました。

 オールアバウトのエンタテインメントチャネルのプロデューサー、飯野さんとはじめて打ち合わせをした時、わたしは『アトラクティブ・アド 新宿営業所 業務係』の名刺を出しました。この方に、自分が何者であるかを的確に伝えるには、やはり会社員という表の本職を伝えるのがいちばんいい、そう思えたからです。「リクルートさんとは求人広告の方なんですけれど、多少つながりがある仕事をしているので、ある程度事情がわかるかな、と思って応募しました・・・」

 そんないきさつがあったので、リクルートを通して会社に何らかの形で問い合わせが入るかもしれない可能性がある、とわたしは考えました。また、サイト作りのために、取材のために、会社を休まないといけないこともあります。いちおうそんなことを思い、上司である橋本次長にはひとこと断っておかないといけないかなあ、と思って仕事の合間に次長に言ったところ、わたしは思いきり怒鳴られてしまいました。

「だからそれがどうしたと言うんだ!」
「・・・いや・・・その・・・だからその・・・、もし何かあったら、と思いまして・・・言っておかなくてはと思いました・・・」
「で、俺に何かしろと言うのか!」
「もし・・わたしがインターネットで顔写真を出してものを書いて・・・会社の方を驚かせてはいけないなあ、と・・・」
「いったい何が言いたいんだ! これで会社でも辞めるのか?」
「いや・・・辞めませんけど・・・その・・・」
「確か、この前も会社を辞めるの辞めないのとわけのわからないことを言ったよな? 会社は辞めないんだな」
「ええ・・・辞めません・・・ご迷惑をおかけしてすみません・・・」
次長は顔を真っ赤にして応接セットから立ち上がり、デスクに戻りました。

 頑張ってくれ、と言ってほしかったわけではありません。この人は『怒る』という形でしか部下とコミュニケーションが取れない人なんだ。この人はこういうふうにしか対応できない人なんだ。3年あまりの部内での営業アシスタント業務としての仕事の中で、それはじゅうぶんすぎるほどに認識していました。とはいえ、顔写真を出して本名でものを書くからには、もし万が一、会社のおえらいさんがわたしの名前でネットで検索をかけるようなことがあった時に、わたしの顔写真が出てきて、そこで落語について偉そうにものを言っていたとしたら、ちょっと驚くかもしれない。しかも、同時にわたしには、リクルート出身の女性が運営するネット関連の会社から「ネットでエッセイを書いてみませんか」という申し出が来ていました。ありがたいことです。けれども、それも本名のわたしへの依頼です。そうなると、ますますわたしは何らかの形で上司にそっ、と話をしておかないとまずい、そう思ったのです。ただ、それだけのことでした。

 とはいえ、そういう対応をされたので、会社は関係ないものだ、そう信じてわたしはオールアバウトの仕事をやろうとしていました。

 ところが、サイトがオープンする一週間前、なぜかいきなり飲み会が設定されました。次長はのたまいました。

「俺はいないから、金だけ出すから」

 いつものことです。しかし、正直言って、飲み会は飽きていました。新宿営業所の飲み会はない時には半年以上なかったのですが、忘年会、新年会、課長の定年退職の送別会、代わりに配転してきた係長の歓迎会、そして新入社員の歓迎会と、わたしがオールアバウトのサイトガイドに応募してから(いや、これとそれとは全く関係はないのですが)なぜか飲み会がやたらと続き、会社の仲間は好きなのですが必ずしもお酒好きではない、朝型のわたしは少なからず疲れ果てていました。

 そして何より、わたしは家に戻ってとにかくサイトを作らなければなりませんでした。見なければならないサイトが、調べなければならないことがたくさんありすぎて、酒など飲んでいる暇は本来はないのです。その上、何を考えているのかいちばん知りたい肝心の次長はいない。しかも、飲み会が決まった翌日に、立川こらくからお誘いの電話が入りました。

「知り合いから『近松心中物語』のチケットをもらった。一緒に見に行かないか?」
「いつ?」
「4月10日」
「・・・ごめん、だめだ、会社の飲み会」

 断るしかありませんでした。サイトに顔写真が出てしまい、落語業界の関係者に顔が割れてしまったりしたら、親しい男ともだちといっしょに落語を聞いたりすることが難しくなる、というプレッシャーがわたしの中にはありました。いや、その前に、芝居を、それも蜷川幸雄の『近松心中物語』は、商業演劇方面のお芝居が好きなわたしにとっては、ぜひ一度は見てみたい舞台のひとつでした。しかし、そのチャンスも失われてしまいました。

 わたしはこの先、立川こらくと仲良くすることもできなくなってしまうのではないだろうか。オールアバウトが始まってしまったら、わたしは、いったい誰と、どうやって、楽しく落語のバカ話をすることができるのだろうか。友達と思っている相手と、寄席の客席で笑いながらマニアックな話を好きなようにすることも許されなくなってしまうのではないだろうか。そう思うと、ストレスは増してゆくばかりでした。

 次長のいない飲み会はまあつつがなく行われましたが。

「林家・・がさあ」
「うわあ! ノーコメント、ノーコメント!」

 なんで演芸にさほど関心がないと思える課長が、わたしもあまり知らない、そんな名前をいきなり出すんだ。夕方5時半に始まった飲み会は、わたしがしらふで真っ白な顔をしてテーブルに突っ伏してしまい、7時半にお開きになりました。そして、白い顔のまま家に戻ったわたしは、ただひたすらにサイトを作り続けました。

 そうまでして作ったサイト制作の過程の最後の最後で、わたしは、藤野さんとcabさんを怒らせてしまいました。とはいえ、おふたかたを怒らせたことは、わたしの本職の仕事とは関係ないものだとして、会社は演芸界とは別の価値観のもとで仕事ができる、と思っていたのです。それはあまりにも虫が良すぎる、というものだったのでしょうか。

 次長、その態度は何ですか?

 わたしは、会社の仕事ゆえに、藤野さんからの電話に出ることができませんでした。けれども、そのことをこの男に言ったとしても、この人は何の責任も負ってはくれない。飯野さんも、無理です。 「何かヤバいことがあったら『ゴメンナサイっ!』って言ってばーっ、と逃げればいいんですよ」

 オールアバウト社の受付でお会いした時に、冗談半分でしょうが、笑いながらそうおっしゃるのを聞いたことがあります。その言葉を聞いた時には、こう思った自分がいました。・・・結局、何かあったら、わたしがすべてを背負うしかないんだ。

 賭けに出よう、と思いました。

 それでダメになったらそれまでのことだ。

(2003.10.1)
(つづく)


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