3週間ぶりの乾坤だ。この間、当然ながら、いろいろあった。
3日の雪の日は、学校の説明会があり、まだ雪の上に誰の足跡もない早朝、水道橋に向かった。雪にもかかわらず、多くの人が来てくれた。そして、その人たちが、17日の体験入学参加につながり、うれしい悲鳴となるのだが……。
4日は私の51歳の誕生日で、朝、家族から「おめでとう」といわれたが、その日は夜間クラスの授業があり、帰りが遅くなるので、誕生日祝いは別の日にすることにした。学校で、学生のH君から「お誕生日だと聞いたので」と芋焼酎とマッコリをもらった。私の好みを知っている。彼は以前にも、岡山の田舎から送ってきたと桃をくれたこともあり、若いのによく出来ていると感心した。きっと、親御さんの教育がしっかりしていたのだろう。子を持つ親として、見習わなきゃ。
その日は、三男の県立高校の前期試験の発表があり、朝から落ち着かなかったが、12時過ぎに妻から「合格した」と連絡があった。何よりの誕生日祝いだ。高校は次男と同じF総合高校。野球部の主将をやっている次男が、バスケット部の友人や先生に三男を紹介し、一緒に練習に参加したりもしていたが、その思いが報われたという感じで、次男も喜んでいた。弟思いの次男なのだ。その次男が、最近、同じ高校の軽音楽部でドラムをやっている女の子と付き合っていて、その子が参加している女子高校生バンドが、木曜日の深夜に日本テレビでやっている『音燃え!』という番組に出るというので7日の夜に見た。高校の沖縄への修学旅行先にも取材していて、次男の担任でもある軽音楽部の顧問の女の先生(偶然だが、小松先生という)もよく映り、早寝の三男以外、我が家は深夜にもかかわらず大いに盛り上がった。もちろん、次男の彼女の姿を初めて見るということもあってだ。高校時代、吹奏楽部でパーカッションやドラムもやっていたことがある長男は、「俺はドラムにはうるさいよ」と偉そうなことをいって、次男に「黙れ」といわれていた。バンドの対決では残念ながら負けてしまったが、次男がこういう彼女と付き合ってるのかとわかり、意外な気もしたが、楽しかった。テレビは実物より膨らんで見えるものだが、なかなかかわいい彼女だと思った。早く家に連れて来い、と次男にいった。女を見る目はある……ま、いっか。
6日の水曜日には、私の誕生日祝いと次男の1カ月遅れの誕生日祝い、そして、三男の高校合格祝いを相模大野にある博多もつ鍋の店『もつ玄』でやった。元・PECTの中嶋比呂嗣に教えてもらった店だ。1月は何かと忙しいので、我が家では、2月生まれの私と義母と、1月生まれの次男の誕生日祝いを一緒にやることが多いのだが、今年は、義母は入院しているので一緒にお祝いは出来ない。ただ、三男の高校合格を妻が5日に報告に行ったら、とても喜んでいたという。
その義母が、8日の金曜日、入院先の病院で息を引き取った。朝、学校に着いてすぐ、妻から義母が危篤だというメールが入り、帰る準備をしているところに、「病院に駆け付けたが、10時28分に亡くなった」と電話が入った。妻も死に目には会えなかったという。私の母の時も、御茶ノ水で仕事の打ち合わせをしているところに、妻から「仕事先で急に倒れ、病院に運ばれた」と連絡があり、病院に駆け付けたら、すでに息を引き取った後だった。父の時も祖母の時も、駆け付けたらすでに意識はなかった。現実は、ドラマのように死に際に枕元で最後の言葉を聞く、などということは、なかなか出来ないのではないだろうか。
それから12日までは、すべてが止まってしまったような感じだ。あまり記憶もない。11日の葬儀のことはよく覚えているのだが、その前後に何をしていたのか思い出せないのだ。義母の亡骸は、そのまま8日から11日までウチに安置され(ふとんの中でドライアイスを抱いた形で)、3日間一緒に過ごした。よく、死体と一緒に何日も過ごしたという事件があると、不気味だなぁと思っていたが、状況は違うにしろ、愛しい人の亡骸であれば、不気味でもなければ怖くもないということがわかった。むしろ、出来ることなら、ずっといたいと思うものだ。義母との付き合いも、妻が高校生の時からだから、25年になる。同じ酉年のA型で、温和でやさしい人だった。これで、小松家と義妹の家族の中で、A型は私だけになってしまった。それもまた、悲しい。いや、同じ仲間がいなくなってしまったことが悲しいのであって、別に他の血液型が悪いといってるわけじゃないので悪しからず。
9日の土曜日には、土曜クラスの授業を午前も午後もしっかり行っているのだが、何をしたかパッと思い出せない。学校への行き帰りも、よく、酔ってどう帰って来たのか記憶にない、というのと同じように、まったく覚えていない。その日、長年愛用し、どこかに置き忘れたりしても必ず戻って来ていた皮の手袋もなくしてしまった。どこでなくしたのかも記憶にない。今度はおそらく戻って来ないだろう。
実は8日の金曜日に、遅ればせながら乾坤を送ろうとしたのだが、そういうわけで送れなくなってしまい、そのままズルズルここまで来てしまったのだ。連休の次の日の12日は忌引で休み、翌水曜日も休みの日だったが、授業で使えるかな、という資料を探すために、中野のブロードウェイに行った。ブロードウェイは楽しい店がいっぱいで、一日いても飽きないのだが、その日はブラブラ見て回っている気持ちの余裕がなかったので、資料探しを終えた後(結局、欲しいものはなかった)、すぐ帰って来てしまった。
14日の木曜日から学校に復帰し、17日の日曜日には今期最後の体験入学があり、何と声優科だけで90人近い申し込みがあった。この学校では今までそんな人数に対応したことはないので、2部制にしてやることにし、結局、申し込み人数よりは若干減ったものの、70人近い参加者を10チームに分けて次から次へとアフレコを行った。朝8時半に学校に着いてから、準備、挨拶、説明、体験アフレコと、すべてが終了した18時まで、まったく休みなく動き回っていた。当然、昼飯も抜きで、実に充実した、目まぐるしい一日だった。手伝いの学生たちがいなければ、とても回せるような状況ではなかったし、普段は事務局の先生まで、ウェブスタジオでラジオのシミュレーションをやってくれた。みんな一丸となってという感じで何とか乗り切れたのだ。よかった、よかった。来期はあらかじめ人数制限をしよう。
20日の水曜日は、先週は義母のこともあったので、久しぶりの休みという感じだった。とはいえ、3月15日で終わる今期の学校の授業の準備など、いろいろやることはあり、昼過ぎまで家で仕事をし、その後、海老名に招待券をもらっていた映画を観に行った。山田洋次の『母べえ』だ。さすがに山田洋次は作り方が巧いし、浅野忠信はどんな役をやってもいいし、志田未来はやはり天才だし(泣くシーンが多いのだが、当然、みんな設定や状況が違い、彼女の泣きの演技もみんな違う! すごい!)、韓国映画やドラマばかり観ていると、たまにはこういうスローテンポのもいいと思ったし、映画館の大きいスクリーンで映画を観るのはやっぱりいいものだと思ったし、確かにいい映画ではあるのだけど、なんか、後に残らない映画だった。その物足りなさは何かと考えてみると、それは吉永小百合の演技なのだということがわかった。まぁ、相変わらずきれいで上品だし、最後には○○のシーンまであるのだから(ネタばれなので自主規制)、サユリスト的には大満足なのだろうけど、私的には、志田未来に負けてるじゃん、と思ってしまったわけだ。小百合ファンの方、すみません。う〜ん、一緒に観た妻とも話したのだが、これはおそらく映画館に行ったから観たのであって(招待券じゃないとしても)、公開の後、DVDを借りて家で観るようなことはしないだろうな、私は。そのうち、テレビ朝日でやるだろうけど。ま、山田洋次はやっぱり寅さんがいいや。
というわけで、いろいろあった2月もあと10日余り。今週末には、競馬も今年初のGT、フェブラリーステークスがある。久しぶりにやろうかな。
(2008.2.22)