極私REVIEW

■五反田団「ながく吐息」@こまばアゴラ劇場
2003.2.23 15時半〜(1:15') 客100人(満員)

五反田団はいま最も新しく、注目されている劇団といえる。様々なメディアが採り上げている。1997年旗揚げ。和光大学の教室を借りて公演を繰り返す。1998年、アゴラ劇場へ進出。アゴラあたりでも「進出」というあたりがほほえましい。で、このときに前売1500円、当日1800円としたが、おつりがめんどくさいということで前売・当日共1500円を公演が始まってから移行。以来、すべての公演が1500円以下としている。

その理由は、どうせ赤字なら、と決定したそうだが、実際には小屋代、若干の装置代だけなので、1500円でも採算が取れている、という。(照明は地明かりのみで開演時につけ、終演時に消す、だけ。音響はない。チラシやパンフは手書き。字が汚ねぇぇ〜。)

その作風に惚れ込んだ平田オリザが絶賛し、えんげきのぺーじでも多くが高い評価を下している。とくに中西理氏の評価は高い。平田氏は、五反田団に対し合併を申し出た。五反田団は次回公演から青年団に所属し、合同公演などを行う。今回の公演の照明は青年団の高給照明・岩城さん。生を20灯ぐらいしか使ってなかったけど。(今回もすでに企画・制作はこまばアゴラ劇場になっていた。)

アゴラの客席って固定席だったはずだが、なんと、移動していた。舞台を横に切っていた。通常の舞台・客席の上手側が舞台。奥行き1間半、間口5間ぐらいの横長舞台。床はコンクリむき出しになっていた。舞台奥にタッパが8尺ぐらいのパネル(汚れたコンパネ)が一面に並ぶ。


いわゆる「日常会話劇」系です。それも、さんざんやられてきた「危機が迫る中でののん気な会話」。異常事態が発生しているのですが、おなじみのニッポン人は、間抜けなバカ会話を続けます。

この「ながく吐息」では、異常事態の設定として「合コン帰りのサラリーマン二人連れの一人が立ちションしてたら、止まらなくなった」と。すごい設定です。実際、奥のパネルに向かって、おしっこします。水が流れます。以後、45分ぐらい、水が出っぱなしですので、舞台が水浸しです。そのために、コンクリむき出しにしたのでしょう。(どうやって水を出したのかは、ヒミツ。ちょっと横を向くと、確かに股間から水が放物線を描いていた)

五反田団におけるバカ会話は、この手の芝居の中ではピカイチだ。出演もしている前田司郎の持つキャラクター(いい味してます)が、そのまんまバカです。字が汚いし、頭悪いんじゃないか、ってぐらい緻密なバカを描いています。すばらしいです。

1時間15分のワンシチュエーション芝居ですが、あきさせません。最初の30分(立ちションを始める前)は、キャラの紹介なのですが、ちょっと長いかも。まあ、バカ会話が売りなので、芝居としての展開は、関係ないのかもしれません。ちょっとしたパニックがあり(立ちションがとまらなくなった人がもう一人現れた)、動揺する二人の男のカノジョとか会社の女子社員とかが現れ、置かれた状況に対するそれぞれの反応を示します。まあ、描き方が丁寧なので、ほんとに言いそうがセリフばかりが続きます。うまいです。

ということで、なにごともなく、ちゃんと止まって終わりました。・・・止まったよね? よく覚えてない・・・。なんか、どうでもよくなっちゃったよ。

なんか、不満・・。ピカイチのセリフなのですが、不満。なんか、こういう芝居はさんざん見せられたもんなああ。じんのさんとか、いっぱい書いていた。役者は、青年団系の芝居に出てきそうな感じの普通っぽさがあって(じんのさんとこって言うより、タテヨコとかじょじプロとかにいそうな普通な感じ)、セリフがずっとリアルに感じられたけど、でも、基本的には一緒だもん。いまどきのバカモノくんたちのリアルさ。いや、「いまどき」じゃないと思うよ。つまり、これまでさんざんやられてきた芝居(風景)なわけで、それはつまり「過去」のニッポンだと思う。「いま」も同じなのかい?

まあ、異論はあるだろうね。「いま」をどう捉えるか、だから。実際の若者たちの今ってのはこんなものなのかもしれない。町田知華子のリアルってのは、近いもんね。きっと、戦争が起ころうが、リストラで自殺が増えようが、関係ないんだもんね。この国に覆いかぶさろうとしている「グローバリズム」は、テレビ見ている限りはひとごとだもの。

「いま」をちゃんと捉えることのできない現代人を描くことには成功している。でも、「いま」を伝えているかといえば、NOだ。2003年のニッポン人は、おしっこが止まらなくなったら、もっと暴力的だと思うよ。どうよ。バイオレンス、なさすぎないか。5年前ならアリだと思ったけど。「なんか、やばいよ」と思ったら、なんかするでしょ。

「北朝鮮がミサイルを発射しました」というニュースを聞いたとき、どう思った? なんかした? テレビでは、「発射しました」を伝えるだけ。きっと、核爆弾を発射されても、ニッポン人は何もしないで、「だいじょぶかよ」とか言って呆然としてるんだろうね。「やばくねえ?」とか。

それが「いま」のリアルであることは正しい。でも、それはさんざん見たってば。芝居はずっと先にそれを描いていたもの。だから思ったのよ。「まだ、こんな芝居を見せられるのかなあ」って。「いつまでこれを見なければいけないのだろうか?」とも。芝居は「次のいま」を描いていいんじゃないのだろうか。


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