極私REVIEW

■ ごましお玄米舎 Vol.7「三十路女が躁(ソウ)出るかっ!!」
2003.4/24〜27(5ステ)@中野ウエストエンドスタジオ
4月24日観劇 70人(7割) 1:55' 前2800円 当2900円
作・演出:廣瀬大輔

ごましお玄米舎は2000年3月に旗揚げ。第1〜3回公演はナンセンスなギャグ中心のしょぼい芝居をやっていた。現役女子中学生を使ったりして、稽古して演劇する、ということよりも、出演者の存在感や即興性が前面に出ていたように思う。4回目ぐらいから作風が変わったらしい。あまり演劇に関心がないように見えた作・演出の廣瀬だったが、この頃演劇に目覚めたらしい。というか、「最近、演劇が好きになっちゃって」とこぼしていた。

作・演出の廣瀬大輔は、吉田敦氏が中心となって活動していた即興演劇活動の中心的な存在だった。吉田氏が旗揚げした即興カニクラブにも参加していた。役者としての廣瀬大輔は、ほとんど天才。即興だけでなく、身体のキレも、テンションの上げ方も一流。もちろん、問題は人間性でして、まあ、ダメ人間です。

即興劇は現在、「インプロ」として注目されている。吉田氏は90年代前半から始めていたらしい。「即興」は単なる偶然的な「アドリブ」とは違い、厳密に体系化された演技論となっている。それで勝敗を決めるものは「シアタースポーツ」とも呼ばれ、大会が開かれている。1990年ごろに世界中に広まった。

今回は、出演者は7人だが、旗揚げから参加しているのは廣瀬と琵琶・橋本の三人。琵琶弓子と橋本かよ子は作風変化後の廣瀬の方法論を理解し、あるレベルには達しているが、他はいっぱいいっぱいだった。まあ、あの方法論を役者に理解させ、レベルを上げるためには、かなりの稽古を要するだろう。廣瀬自身、その問題を指摘している。

「あの方法論」と言ったが、つまり、早口で高いテンションでパワフルに動きまわりながら、役者同士がバトルするものだ。語弊はあるが、つかと第三舞台を合わせたようなもの。実際には廣瀬にしても、琵琶・橋本にしても、全然できていない。特に琵琶・橋本はめいっぱいやってて、目標に達していないという状況。倍ぐらいのパワーでやれていて、それが本人の8割ぐらいの余裕の芝居でなければならない。

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■ストーリー

三十女の、わたしは誰、ここはどこ? 閉塞する社会に生きる煮詰まったオンナ。三十過ぎて子持ちでダンナと別れて。どこへ行けばいいの? 何をすればいいの?

精神障害カウンセリング。青年がいつものようにカウンセリングに。先生、今日、大変なことがありました。三十女もカウンセリング。先生、今日、大変なことがありました。

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私が玄米舎を見たのは旗揚げと第二回。作風が変わったとは聞いていたが、こんなに変わっているとは思わなかった。見ていて、「これはいったい何の影響なんだろう?」と考えていた。私が知っていた廣瀬は芝居なんかそんなに見ていなかった。どちらかと言うとテレビのバラエティの影響下にあった。その後、芝居を見てこうなったわけだ。だとすると、どんな芝居を見て、影響を受けたのだろう? 第一に浮かんだのは野田地図。私が見た野田地図はテレビで「赤鬼」をやったやつだけだが、なんかそんな感じ。野田とか富田靖子とか、こんな感じじゃなかったかなあ。あと、感じたのは大竹しのぶ。大竹しのぶの最近の芝居は見てないけど、琵琶の芝居を見ていて、きっとこんな感じになってんじゃないのか、とか思った。もちろん、大竹しのぶの3割ぐらいしかできていない感じだけど。まあ、片鱗が見えたわけで、それはそれですごいこと。旗揚げのころのタレント芝居の琵琶から比較すれば、画期的。

つかと第三舞台を合わせた方法論、と言いながら、最近の野田地図とかって感じるのは、なんか変かもしれない。だいたい、廣瀬の芝居は毎回変わるらしい。今回は三十路オンナの閉塞状況を書いたら、ギリギリのところで躁状態に描くしかなかったんだろう。別に三十路オンナじゃなくても、不景気と戦争が覆い尽くす社会で何かを描こうとしたら、「鬱」で行くか「躁」で行くかのどっちかしかないかもしれない。「引きこもる」か「通り魔になる」か、どっちか。

ごましお玄米舎の通り魔的な方向性に期待します。やるんなら、ワークショップやって、役者のパワーを倍増しないとならないと思うけど。あと、構成はもうちょっと考えてもいいかもしれない。装置の使い方、照明の使い方も。まあ、重要なのは役者だ。

三年で7公演か・・・ここいらが岐路だね。


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