発言記録室(since 2002年6月21日)

2002.8.11
■現状認識/小丸オンライン

現状認識

以下の二つを現状認識として持っている。これって間違っているでしょうか。

1、演劇とインターネットが摩擦を起こしている
2、演劇は今、厳しい状況におかれている

(以下、1番について)

●インターネットというメディアを観客が手に入れたことで、無力だった観客がパワーを得た。そのことが演劇の世界と軋轢を起こしている。なんか、ぶつかっているよね。

これはなぜ起きたのかというと、「インターネット」というツールの特性を分析することで理解される。これまで、その理由がわからなかったんだ。何が起きているんだろう、と困惑してた。けど、最近になって「インターネットっつうのはこうゆうもんだ」ということがようやく明らかになってきたもんだから、わかったよ。

インターネットを使ったビジネスがみんなみんなこけてる。その理由も、インターネットってもんがなんだかわからなかったからなんだよね。松井証券の松井道夫氏が一番わかっているように思う。

重要なのは、インターネットのおかげで、作り手と観客の距離が短くなったということ。これまでは、その間には大きなカベがあったんだ。お互い、相手のことはよく知らずにいた。わかるのは「数字」とかだけ。ある意味で平和な時代だ。が、観客を力を得た。情報も得た。無力で無口ではなくなった。

本来なら、このことはすばらしいことで、新しい共存関係が築けるものだ。築けるはずなのだ。が、軋轢を生んでいる。しばしばぶつかっている。いったいなぜぶつかってしまうのか?

インターネットというツールは単なる道具でしかなく、情報の収集と発信に有効なものだ。したがって、有機的な企業はどんどん情報を出していき、顧客に選んでいただく、という道を選んでいる。情報を操作し、顧客を囲い込む、という過去の手段を無にしているのがインターネットだからだ。「マーケティング」という名の情報操作を困難にしているのだ。情報をどんどん出すしかない。選ぶのは顧客。デマンドサイドマーケティングだ。これがまさに顧客主義なのだ。主役は顧客に移ったのだ。

ところがぎっちょん、わが国の社会、経済、政治などなどは、常にお上がなんとかするものであった。余計なことは知らせる必要はない。顧客もまた、そこに安住している。したがって、多くの企業はいまだに閉鎖的であり、ディスクローズされていないわけだ。えらい人は「隠す」ものだし、なんとかする、ものなのだ。それが日本だ。

そういう閉鎖的な業界のすべてで、インターネット上で軋轢が起きている。演劇界もまた非常に閉鎖的だったからだ。株式の公開の必要もないので、オープンにする理由がなかったからね。それゆえ、観客にはできあがった作品のみが提出された。「情報」はまったく出されていない。観客も情報の存在すら知らないので、そのゆがみに気づかない。しかし、作品を見て判断し、感想を発表することが可能となったとき、持っている情報の少なさというのは決定的に判断を誤らせるものだ。言い換えるなら、情報すら持ってないものが正確な評価などできるはずがないのだ。つまり、「間違った判断をしている」と作り手側は憂いを持つが、それは当然のことなのだ。偏見と憶測と先入観を前提に判断しているのだから。情報を持っていないのだから。

インターネットは作り手と観客を近づけた。情報を得るためのツールとして最適であり、ある判断を発表することを容易にしたツールでもある。が、「情報を得る」ことができていないのだから、まさに片手落ち(差別用語すまん)なのだ。それゆえ、インターネットと演劇の健全な関係など、築きようがないのだ。

解決の方法はたった一つ。観客に情報を持ってもらうしかない。これは、音楽や映画やゲームの世界もまったく同様の革命となるものだ。メディアに操作されたヒット曲が生まれる時代を過去にし、口コミで本当のヒット曲が生まれるという素晴らしい世界を実現するためには、楽曲の背景にある情報が流通する必要がある。演劇もまた同じ。閉鎖的すぎる演劇界は変わらねばならない。さもなければ、演劇界と観客との齟齬は避けられない。あらゆることをオープンにすることでしか、インターネットと演劇の健全な関係は構築されないことを知らねばならない。


戻る