発言記録室(since 2002年6月21日)

2002.7.7
■森達也の決意/小丸オンライン

すごいエッセイを朝日新聞に書いてたねえ。ちょっと感動。朝日の6日の夕刊。 (森達也は映画「A」「A2」を撮った監督)

内容は「オウム信者は排斥するしかないのか」をテーマとしたもの。世田谷区 議会のオウム排斥容認条例が可決されたことを受け、今後、他の自治体も続く だろう、というもの。これに対し、新聞が「人権侵害や憲法違反の恐れの声も ある」などと報道している。「恐れ」どころか、「どこからどう見ても明確な 人権侵害であり憲法違反」なわけで、メディアの中途半端な指摘に対して「そ ろそろこんな茶番はやめないか」と提案している。

かっこいい。

ただ、森が指摘しているのは、行政の問題点やメディアの弱腰ではない。最大 の問題は、「自覚を失った組織共同体が暴走を起こす」こと。関東大震災後の デマに起因した在日朝鮮人6000人虐殺をはじめ、今のアメリカやイスラエル、 ナチス・ドイツ、クメール・ルージュ、さらには中世ヨーロッパの魔女狩りや 皇国日本などを事例としている。そして「何よりもオウム事件そのものが、組 織共同体の思考停止とその帰結としての惨劇を如実に体現している」としてい る。

ひとつのデマに動かされ6000人を殺したのは一般市民。手に鳶口や鋤を持って 虐殺に耽ったのは一般市民なのだ。オウムの前で、彼らの人間性や弱さについ て考えようとせず、思考停止のままで「排斥」を唱えているのは、よき父、よ き母なのだよねえ。

森のエッセイの結びは鮮烈だ(私が解釈するとこうなる)。彼の願いはこうだ。 オウム信者の日々の営みを想像して欲しい、と。思考停止しないでくれ、と。 そうすればこの国の未来も切り開かれると信じているのだ。ほんとうにそうな んだよね。そして、森にとっては、人々がきちんと考えてくれて、それでも 「触れずに排斥する」という選択肢を選ぶのなら、この国に未来はない。死ぬ しかないことになる。従って、死に行く国と心中するのか、別の道を選ぶのか、 決断を迫られることになる。

政治家もマスメディアも愚かですが、それらのレベルは国民のレベル以上には ならない、というのは昔のえらい人が言ったコトバです。鈴木宗男は国民の反 映ですから、被害者ですもんね。

「一般市民の愚かな選択によって、この国は死に瀕している」というのは、表 現者の共通認識なんでしょうかね。拒絶反応をくらうんですけど。あれだよ、 「デビルマン」が描いているのなんて、モロそうだもんね。客には伝わらない んけど。


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