発言記録室(since 2002年6月21日)

2002.6.29
■近鉄劇場閉館問題/小丸オンライン

近鉄劇場の問題を聞いて、私が最初に思ったのは、「企業スポーツの限界」と同じじゃないのかってことでした。いろんなスポーツのチームのスポンサーが撤退してますよね。企業の論理です。スポーツは文化なんかじゃなくて、広告なわけです。

ヨーロッパにおけるサッカーやF1みたいに文化に昇華してしまっているものとは違い、地域との関係も希薄なものでしかない日本の企業スポーツは、企業自体の経営悪化で、「簡単に」撤退してしまっています。近鉄劇場も同じなんだろう、と。

例えば本多やスズナリがなくなるとしたら、下北沢はどう動くのかなああって考える。下北沢にとって劇場が果たす役割は小さくない。本多やスズナリが下北沢のステイタスを上げていったのは事実です。そう認められています。が、どこまで地域に根ざしているのか? 下北沢の住民は芝居を見てるのかなあ。マチが寂れるという不安から、劇場存続運動は起きるかもしれない。金を出して経営に参画するかもしれない。けど、やっぱり「演劇を救おう」という動機はないんだろうなあああ。

大阪の上本町と近鉄劇場の関係はどうだったんだろう・・・。

最強じゃないのか「企業の論理」。ニフティ株式会社の論理の前じゃ、FSTAGEというコミュニティすら弱いと感じ、企業の論理に支配されるのがいやで作ったのが週刊FSTAGEだもんね。つってもまあ、個人の経済論理に振り回されているけんど(オレの金回りだよ、めんぼくない)。

ひとつのポイントは近鉄劇場の開場が85年って点だと思う。80年代なんだよね、名だたる劇場がオープンしたのって。70年代から80年代。つかから野田、鴻上に至る時代だ。このとき、演劇は盛り上がっていたのさ。劇場を作ることには「商業施設やマンション」を作ることよりも意味があったんだ。今は負けるんだ。

企業スポーツからの撤退は、チームを持つことよりも、福利厚生に金を使うってことでしょ。社員を含む「人々のシアワセ」のためには福利厚生の方が重要だって論理。劇場じゃシアワセにはなれないってこと。商業施設やマンション作って稼ぐほうがシアワセになれるって論理。

演劇だってシアワセのために必要なのに、伝わってないってことでしょ。今なら、サッカーがシアワセに必要だってことは誰もが知ってるんだけど。(気がついたか>全日空!)

これで演劇がすぐになくなるってわけじゃない(関西ローカルの話じゃないよ)。ただ、衰退している、何も伝わっていない、企業の論理が最強、ってことは感じとれると思うんだがな。いや、感じてない人がいるような気がするから報道してるんですけど、どうなんでしょうか。


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