発言記録室(since 2002年6月21日)

2002.6.24
■なぜ誹謗中傷はなされるのか/えんぺ

小松さんの発言の件を。

小松さんについては、私も名前だけは知っていて尊敬しているのですが、だからといってフォローする発言ではありません。どっち寄りというのではなく、ただの分析です。すみません。あ、「That's テレビドラマ 90's」買って持ってます(^_^;)。

小松さんの最初の発言の主旨は、「ああゆう発言は問題だ!」というものだと思うのです。そこに「匿名の問題」とか「同じ人が発言している」とか「見ないで言うことは問題」とか、付随する点を指摘している。で、どういうわけかその付随発言の方に論争が行ってしまっている。問題は「ああゆう発言」すなわち「誹謗中傷」がどうどうと掲載されていることですよね。

と、ここで質問をするわけです。そして、ネットにおける論争の常として、その答えを待たず、これを前提にして、「それは違う」という論が展開されるわけです。ネットじゃ、こんなむちゃくちゃな議論のしかたはアホだ、ということは当たり前になってます。ほとんど、その前提が間違っていることが多いのですから。対面での論争なら、その前提が示された時点で、「違うよ」と言えるので、わけのわからん議論に進むことがないのですけどねえ。

「あなたの言いたいことはこういうことでしょう。それは違うぞバカ。」というの、やめませんか。ネットの文章で、人の表現したいことが通じると思ったら大間違いです。そんなに文章うまくないし、読解力があるわけじゃない

えっと・・・。

で、私の話は続くわけですが、一般論として、「なぜ誹謗中傷は発言されるのか。いや、あれは誹謗中傷なのか?」ということを言いたいのです。

簡単に言います。書いてる側は、コミュニケーションの場として、今回は見ていない公演だとしても、「そうそう、流産寺は」とかツッコミを入れてしまう。これぐらいの誤字は、軽いノリで書いていれば、ありがちですよ、ネットでは。軽いコミュニケーションですから。飲み屋のエンタテインメントなら普通です。誤字脱字でしゃべってますもんね、酎ハイのせいで。楽しいです。「見てない」としても言いたくなる。毎回は見ないですよ、よっぽど好きじゃないと。でも、見るたびに発言するわけじゃないので、見ない回に言うのもまあ、しょうがない。ルールがどうあれ・・・。コミュニケーションにルールもへったくれもないもんだ。

ところが、それを問題だと思う人がいるんですよねえ。なぜなら、「コミュニケーションってのは電話とかメールでやればいいんであり、掲示板はメディアだろう」と思っているからです。それは正しい。めちゃめちゃ正しいです。けど・・・。

ひとつの発言は、その前に発言されたいくつかの発言を反映してるので、掲示板ってのは絶対にコミュニケーション性を内包してるんですよね。だから、小松さんが指摘した発言ってのも、流れの中で読んでると、うっかり読み飛ばすものでした。それって私だけかしらね。場の流れだと自然に読めて、抜き出すと「確かにちょっとどうかと思う」とか感じるのは。

(最適の事例は、えんぺの劇団コーナーにある私のレビューでしょう。あれらは、多くの人に書かれたレビュー(年間2000ぐらい)の中にあったものを抜き出したものです。当時、場の雰囲気を反映して書いたものだとしても、ひとつだけ抜き出すと、とんでもねーよなあ。すみません。あれでも当時は怒られなかったのよ。それどころか・・・)

だからと言って、その誹謗中傷と判断したものを「見逃せ」というわけではありません。でも、対抗する手段として「抜き出して指摘する」のは違うと思う。その場で、逆評価で対抗するしかないように思う。まあ、一行レビューのシステムの場合、ちょっと難しいんだけど。

それで、「なぜ誹謗中傷は発言されるのか。いや、あれは誹謗中傷なのか?」ですが、後者、すなわち、あれは誹謗中傷かというと、コミュニケーションの場としての反映発言なので、一概には「誹謗中傷」だとは言えないと思うのです。が、「誹謗中傷」じゃないとしても、メディアとしての地位が高まった場所で、コミュニケーションのノリでの発言がなされるということの問題はあるわけです。それこそが最大の問題だと思うのです。

小松さんの感じられた不満をつきつめていくと、そこに至るように思うのですが、どうでしょうか。

(今回の問題は、前に議論してほっぽってある「なぜ居心地の悪い感想は生じるのか」とは別のものですよ。)


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