2002.6.21 ■レビュー考察/えんぺ | |
W杯も終わったし(終わってない)、私もひとこと。 問題の本質はやっぱり「匿名」にあるのではないと思うが。 見た芝居を「すごくひどい芝居だ」と思ってしまったことと、それを「めちゃめちゃひどい表現で書いてしまった」ことにあると思うのだが。 「一行レビュー」および、「その他のレビュー掲示板」についての考察って、なされているのかなあ。 以下、「当然のことじゃん」「知ってるよ」と言われるのを承知で、ちょっと考察。 重要なのは、「コミュニケーションの場であること」と、「(ダメ芝居であっても)褒めるレビューが多くなるのが当然のシステムであること」だ。 一行レビューは、やっぱり、人が書いたものへの反応が混じりますよね。自分がつまらないと思ったものが、めちゃめちゃ褒められていると、過剰に反応したくなる・・・。 さて、10人中7人が「悪評」で、3人が「好評」だったとします。多い方の「悪評」の表現は、そこそこゆるやかなものとなるでしょう。で、問題は、悪評を書いた人たちは、次の公演は見ない、ということ。 次の公演のとき、3人の好評組と、新たな5人が書くとします。と、「好評」5人と、「悪評」3人となるわけです。そうすると、少数派の悪評組は、思わず厳しいコトバを発する傾向が生まれます。さらにその次の公演は・・・。 結局、こういう場は、「褒めるレビュー」が残され、それに反発する「オニのようなひとこと」が混じることになるものなのでしょう。そういう必然にあるシステムであるような。 だから、客観的に見れば10人中7人ががっかりするような芝居でも、レビューでは「好評な芝居」となることはしばしばです。で、時として「ここでは評判の芝居を見ましたが・・」と言われてしまうわけです。「ここ」ってどこだよ、と思ってしまいます。たまたまそうなってしまっているだけなのに・・・って。 んで、重要なのは「褒めるレビューが多くなる」ことではなくて(それは問題だけど、仕方のないこと)、「反応としての悪評が厳しい表現になる」ということです。ただの悪評じゃなくて、褒めるレビューが多いことに「反応する悪評」が、ひどい表現になることです。それでも、その人は次には見なくなるのですけど。
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