週刊小丸


No.57(2/19〜2/28)

2000.2.29 霧生館スペシャル

2/19(土)〜2/28(月)

思えば、この企画「霧生館スズナリ興行」は、1999年の初春からミーティングをスタートし、1年もかけて練り上げてきたものだ。企画を作った十蔵さんは、3年も前から関わっている。3年前にその原型となった「座敷牢」台本を読んだとき、「これを眠らせておくのはもったいない」と始めたのだった。

実際、その「座敷牢」台本は面白かった。「少女椿」を監督した原田さんのホンだが、完成すればすごい作品になることは確実に思えたのだった。それだけをエネルギーとして、この企画は進行してきたのだった。その初日は2/23(水)に開く。みんな楽しみであり、毎日の小屋入りがすごく楽しかった。

19日の朝、目を覚ましたとき、私は、この生活が一生続いてもいいな、とか思っていたぐらいだった。シアワセだった。毎日がゲネプロであり、気の休まる瞬間が全くないのだけど、それだけにシアワセだった。そして、水曜の「座敷牢」初日を、ただただ楽しみに待っていたのだった。

しかし、世の中、そううまくは回らない。自分たちが一生懸命努力し、1年もかけて進行してきたものだって、終わる時には終わるんだ。簡単なものだ。

2/21(月)は巻上公一さんの素晴らしいパフォーマンスがあり、「少女椿」バージョンはとりあえずの楽日を無事迎えた。この時点でまだ「座敷牢」は完成していなかった。終演後、飲みに行き、翌日のセット替えの前に、朝1番で「座敷牢」を上映してもらってから、セットを替えようという段取りにした。

翌朝、小屋入りしてみると、まだ映画は届いていなかった。作品がどんなできであるかがわからないと、セットをどこまで替えていいのか分からない。この作品は映画と芝居とがリミックスするものなので、映画のできにあわせないとならないのだから。とりあえず、午後四時に映画が届く、と連絡が入った。仕方ないので、ある程度の予想のもとでセット替えを進行していく。

映画は6時頃届いた。が、まだ完成にはほど遠いものだった。1時間半ぐらいの作品だが、繋がったのは音だけであり、絵が10分ぐらいしかできていなかった。が、それを前提に芝居パートを作る。役者に立たせ、照明を当ててみて、いろいろ検討する。いろいろやってる時間もなかったけど。

翌日は、いよいよ公開日だ。朝までに絵を入れたものが届くということで、いろいろ準備して小屋入り。が、映画は午後3時にならないと届かない、という連絡。開演が18時半なので、ギリギリだ。ひたすら待つ。午後6時、映画到着。試写している時間がない。とりあえず、前日の段取りを確認して本番へ。

玉造カルキのパフォーマンスに続いて、「座敷牢」上映。どんな画になっているのか・・・どきどき。

画は、昨日とほとんど変わっていなかった。黒みのところは減ったが、画が挿入されたわけでもない。みんなで彩色した膨大な絵は、いったいどこにいったのだろうか・・・。

とりあえず、音に合わせて、役者芝居の部分と照明・音響・装置は動かした・・・。

終演後、「座敷牢」上映中止がプロデューサーより宣告。

私は、映画が終わったとき、「明日からなにをすればよいのか」しか考えていなかった。この映画が画の少ないものであるとわかった以上、芝居で画を挿入するしかない。幸い、声の出演をしているメインキャストはいるわけだし、ちゃんと芝居のできる役者さんだ。座敷牢を表現するセットもある。その日の映画をビデオに撮っていたので、そこから台本を起こし、すべての画のないシーンに芝居を作らないとならない。もう、考えただけでも気が遠くなりそうだったが、それしか方法がないように思えたので、とりあえずビデオをカバンに詰め込んでいた。なのに、中止・・・。

ざんねんではあるけど、台本を起こすツラサを思うと、楽でいいかな、とか思った。舞監と企画者と制作者が決定し、監督の了承を得たものに対し、ただの明かり屋が口を出す理由はないものなあ・・・。

毎日のことなので、この日も飲みに行く。翌日からは「少女椿」を再上映。せっかく仕込んだ装置なので、「少女椿」で使うことにした。照明もいろいろ仕掛けを仕込んだので、使うことに。

以下、千秋楽まで呆然としながら経過。この間、一度も飲みにいかなかった。みんなは行ってたみたいだが、私は行く理由が見つからなかった。飲みに行くのは芝居を良くするためだから、現状維持しかない以上・・・。

28日(月)は朝からバラシ。で、その途中で午後1回の上映を。すごいスピードでバラシが進んだので、上映のときには、スズナリはほとんど原型に戻ってしまっていた。

終演後、完全バラシに。これもあっというまで5時頃にはバラシが終わっていた。大岩君にきてもらい、照明関係の機材を私のうちに運んだ。打ち上げは7時からの予定だったが、6時半にスズナリに戻ると、既に宴会は始まっていた。6時から始めたとか。

で、夕方の6時に始まった打ち上げは、翌朝の6時まで約12時間続いた。7時前に参加した私も朝6時まで・・・。ただただ、憂鬱だったけどね。

こうして、時間と手間をかけまくったイベントは、本来の結果を生み出さずに、その幕を閉じた。回廊自体の人気は高く、多くのリピーターを集めることができたのだから、企画としては大成功だろう。でも、やっぱ「座敷牢」上映が目的だったのだから、なんともいえない。座敷牢をやらないと、回廊の意味も、装置の意味も、全くわからないものな。座敷牢という作品の中に、迷宮回廊が出てくるのだから。・・・仕方ないけど。

それから1週間、ほとんどすべてのスタッフはカゼで倒れた。私が復活したのも、3月5日ごろになってからのことだった。

(つづく)


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